THE MAN WITH THE TWISTED LIP 第18話 もう一つの顔

 監督: パトリック・ラウ director...Patrick Lau

 脚色: アラン・プレイター dramatized...Alan Plater

 ゲスト: クライヴ・フランシス(ネヴィル・セントクレア) Clive Francis as Neville St Clair

      エレノア・デヴィッド(セントクレア夫人) Eleanor David as Mrs.St Clair

      デニス・リル(ブラッドストリート警部) Denis Lill as Inspector Bradstreet

 ネヴィル・セントクレアという紳士が、貧民街で妻に姿を見られた直後に消えた。現場にいた物乞いのブーンに殺されたのか?ホームズが事件の意外な真相を明らかにする。

 NHK版の邦題は、原題「唇のねじれた男」が差別的表現につながるから、という理由なんでしょうけどねえ。はっきし言ってネタバレ(爆)じゃん。それに、じゃあ「まがった男」はいいんかいってのもあるし。基準がわからん。

 いつもは、ドラッグがらみの場面は削りまくるNHK版ですが、さすがに今回はアヘン窟が舞台なため、その辺りの件りをカットするというわけにはいかなかったようですね。(笑)おかげで、ホームズの「僕がアヘンにまで手を出すようになったと思ったかい?」も残ってしまったので、今までのカットの努力も水の泡に・・・。

 個人的に、お気に入りのエピの一つ。正典も、展開の意外性からかなり質の高い短編ですが(初回放映時、うちの母が結末に真剣に驚いていました。)、場面展開などはシンプルなので、ストーリーには手を加えないままで細かいところでのアレンジやオリジナルシーンがたくさんあって、なかなか楽しいドラマになっているのです。

 このエピソードも、正典はホームズとワトスンが別居中(爆)の時のものなので、グラナダ版では、冒頭は大幅に変更されることになります。ご存知の通り、正典はワトスン夫人の登場するいくつかのエピソードの一つで、アヘン窟に入り浸る夫を連れ戻したいと訴えるホイットニー夫人が、学生時代の友人であるワトスン夫人を頼って訪ねてくる場面から始まります。(メアリが夫のことを「ジェームズ」と呼んだ、という有名なミスが登場する箇所です)そして、ワトスンが単身アヘン窟に乗り込んだところ、そこでホームズと偶然出会い、事件の話を聞き、セントクレア家に同道する、という展開になっています。

 しかし、独身でホームズと別居したことはないグラナダ版のワトスンではそういうわけにはいかないので、ホームズとの食事の約束をすっぽかされてぷんぷんしているワトスンのところに、ホイットニー夫人が訪ねてくる、というところから話が始まります。この時、夫人を迎えたハドスンさんが「お優しい方ですから、大丈夫ですよ」と言っているのに、そのワトスンは「客かよ〜」とばかりに新聞を投げつけてるのがおかしかった。でも、やっぱり本当に優しいワトスンは、話を聞くと即座に「私が一人で行ってアイザを家に帰らせましょう」と言ってあげるのです。正典では、本人とホームズ以外の人物がワトスンのひととなりについてコメントするシーンはほとんどないので、そういう意味でも興味深い場面でした。ワトスンが「ホームズは煙の如く消えうせた」(この辺、日本語版の訳はいいなあ)「ご主人も煙の如く消えうせましたか」「私は煙の如く消えうせたと(ホームズに)言ってくれ」という辺り、しゃれが効いてて好きです。

 NHK版ではカットされていましたが、ワトスンが出掛けた後、ホイットニー夫人とハドスンさんがお茶を飲みながらする会話がちょっと面白かった。「男の人ってどうしていつまでも子どもなのかしら」「そんなのちっとも不思議じゃありませんよ。そのために女がいるんですよ。」(もちろん、グラナダ・オリジナル)ハドスンさんにとっては、ホームズもワトスンも可愛い坊やと一緒なのね・・・。

 で、ホームズがワトスンとの約束をすっぽかしたのは、その日に突然セントクレア事件の依頼が飛び込んできたせいで、正典では既にシーダー荘に滞在中だったのが、その日初めての訪問、というように変更されてます。ここでホームズに「一緒に来るかい?」と言われて、「もちろん!(Of course!)」ってワトスンが答えるところが素敵vvあと、NHK版ではちょこちょこ切られていたのでちょっとわかりにくかった冒頭の場面、シティ(字幕はこれを「下町」って訳してたぞ。ロンドンのシティが「下町」?)で物乞いをするブーンに、いかにも薬切れで挙動不審なホイットニー氏がつきあたるのは、意外なところでホームズとワトスンの軌跡が一致することを暗示していて、面白いですね。

 エッセイでも書きましたが、グラナダ版では、セントクレア夫人が正典よりも気丈な女性として描かれています。アヘン窟からつまみ出された後も、正典では怖くて走って逃げていたところに、たまたま警官と出会ったことになっていましたが、グラナダ版では、「つまみ出されたことが不愉快だったから、警察を呼んだ」と気の強さがうかがえますし、警部たちと駆けつけてくる場面も走り方になかなか根性があって素敵でした。(爆)その辺りのところは、シーダー荘でのホームズとの会話の場面にも生かされていて、正典では、ひたすら夫の生存を信じたい、か弱い女性、といった感じだったのが、ドラマでは、自ら「手紙が書かれたのは月曜日かもしれない」と認めるなど、客観的に見れば状況が厳しいことを認識した上で、それでも夫が生きていると信じる、意志の強い女性という印象を受けるようになっています。あと、細かいところですが、正典では、夫人は自らアップ・スワンダム小路を通り抜けることになっていますが、ドラマではうっかり迷い込んでしまったように変わっています。(その辺りのところがいまいちよくわからなかったんですが。女の子が布みたいな物を夫人の手に押し付け、夫人は女の子の後を追って金をやる。どういう意味があるんだろう)あんまり小路の様子を不気味に描いてしまったので、ちゃんとした家の女性が意識して足を踏み入れるのが不自然になってしまったんでしょう。正典では、ちょっとガラの悪い場所、程度なのかも。

 正典では、事件のあらましやさしあたってのホームズの推理を、シーダー荘へ向かう途中で、全てワトスンに語られるようになっていますが、ドラマは、事件の後半はセントクレア夫人に語らせたり、ブラッドストリート警部とのやりとりを回想に入れたり、寝室で二人が語り合うようになっていたりと、いくつかの場面に分散されています。映像として一本調子にならないようにするための改変でしょう。

 で、冒頭ですっぽかしを食わされてからちょっとご機嫌ななめ気味のワトスン、シーダー荘に向かう馬車の中でも、「最近失踪が流行ってるんだな」などとシニカルなことを言って、ホームズに「どうしたんだ?」と不審がられたりしてましたが、朝の4時までつきあわされた上に、明け方早々に叩き起こされて、頂点に達してしまったようです。(爆)(ホームズが、ワトスンの足の裏をくすぐって起こした時は、「何しとんねん!」(イミもなく関西弁・・・)と叫んでしまいました・・・ひぃ。あ、NHK版では起こすシーンはカットです。ちっ)正典でも、ホームズは「僕は、ここからチャリングクロス駅まで蹴飛ばされても仕方のないバカ者だ」と言うんですが、グラナダ版では、ここですかさずワトスンが「さっきから、ずっとそうしてやりたいと思ってたよ」と突っ込みを入れたのには笑ってしまいました。こういうところは、バーグ・ワトスンにはなかったところですね。でも、ホームズは気にしない。謎が解けたのでウキウキしてる。っていうか、エドさんになってから、ホームズがワトスンを振り回す度合いが大きくなったような気が。

 最初に正典を読んだ時、物乞いをやって施しで得る収入が並み以上の収入になる、という話は不思議と違和感なく受け入れられました。「そういうこともあるかも」って感じで。バブルの時代なんぞは特にそうでしたが、世の中、真面目にこつこつ働くのがアホらしくなるようなことって結構ありますもんね。正典では、正体を暴かれたセントクレアに、ホームズは結構優しく接してあげてますが、グラナダ版ではそれほどでもなく、セントクレアの行為に対して批判的なスタンスを、ドラマが取っていることがよくわかります。ブーンがシェイクスピアや名高い詩人の作品を引用し、ワトスンが「物乞いのエリート」と評するのは、グラナダのオリジナルですが、物乞いでそれだけの収入を得るには、ある種の「才能」も必要であったことをよりわかりやすくするためでしょう。セントクレアに戻ってからも、テニスンやシェイクスピアをふと引用したりするのが、ちょっと洒落てました。窓枠で怪我をしたことは、正典ではブーンは早い段階で言ってしまうのですが、ドラマは最後に「突けば血が出るのだ」を言わせるために取ってありましたね。

 正直、「才能ある物乞い」という大変に割のいい仕事を辞め、この後、セントクレアはどうするのだろう、と心配になりましたが、ブーンの扮装を焼き捨て、迎えに来た妻と手を取り合って歩き出すラストシーンは、新たな人生に前向きに歩き出すことが表されているように思えました。何とかなるんですかね。

 シーダー荘にちょこちょこ出て来た、セントクレア家の小さな娘が、本当に天使のようで、とっても可愛かったです。グラナダ版のホームズって、結構子ども好きっぽいですよね。

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