晴明は、ふと目を上げた。

式が彼の意識に触れてきたのだ。

すぐに、その顔がすうっと強張ったかと思うと、さっと立ち上がった。

何事かと見上げる雪虫に、

「博雅に何かあったようです。」

とだけ言って、足早に母屋を出た。

雪虫も顔色を変えて後を追って来る。

屋敷を出ると、薄暗い黄昏時の曇り空から、さらさらと絶え間なく雪が舞い、地に落ちては消えていった。

一条戻り橋を渡り、堀川小路に出、左手を見やると、それは見えた。

日暮れが近いためか人気のない通りの真ん中で、一ヶ所、白く雪が渦巻いているところがあった。

「そこか!」

駆け寄った晴明の目に、渦の中央に黒い髪をなびかせてぼおっと浮いている女と、そのすぐ足元にうずくまる博雅の姿が飛び込んで来た。

背後で雪虫が息を呑むのが聞こえた。

「―お母さま!」

晴明は懐から呪符を取り出し、口元にあてて呪を唱えてから、はし、と雪の渦目がけて投げつけた。

「破邪!」

呪符は炎の矢と化して、女の袖につきささり、ぱっと火がついた。

「何」

女は思わぬ邪魔立てにうろたえて辺りを見回した。

晴明と目が合ったが、その背後の雪虫に気づく余裕はないようであった。

「おのれ!」

女は、燃え上がる袖に白い息を吹きかけて、火を消すと、白い渦と共に姿を消してしまった。

後には、そこだけ深く積もった雪の中に、ぐったりとうずくまる博雅が残された。

「博雅!」

晴明は駆け寄ると、博雅を雪の中から引きずり出した。

博雅は蒼ざめた顔で力なく目を閉じていたが、晴明が冷え切った体を胸に抱き寄せ、手や頬をさすってやると、うっすらと目を開いた。

「晴明・・・」

「大丈夫か?」

意識があるので安堵した晴明の問いかけに、かすかにうなずいてみせる。

「眠ってはならぬぞ。」

晴明は、軽々と博雅の体を肩に担ぎ上げた。ほっそりした外見からは、想像もつかないような力強さである。

そして、呆然と立ち尽くしている雪虫に声をかける暇もない様子で、屋敷に向かって走り出した。

雪虫も慌てて後を追った。

博雅を担いでいるにも関わらず、晴明の足は驚くほど速い。

雪虫が何とか追いついた時には、もう屋敷にたどり着いていた。

「常磐!」

晴明は屋敷に上がりざま式を呼び、ふわりと現れた式に訊ねた。

「塗籠に火は入っておるか?」

「はい、ご指示のままに。夜具と乾いた衣も運んでおきました。」

常磐の答えに晴明はうなずき、

「雪虫どののお世話を」

と命じ、博雅の体を肩から下ろし、横抱きにして奥へと入っていった。

立ち尽くす雪虫に、常磐が声をかけてきた。

「雪虫さま、こちらへ」

「でも・・・」

雪虫は不安そうに晴明が入っていた方を見やった。

「博雅さまのことは晴明さまにお任せ下さい。」

静かだが、有無を言わせない式の口調に、雪虫は渋々うなずいた。



博雅の意識は、よく暖められた塗籠に運び込まれたところで途切れた。

次に目覚めた時、誰かの胸に抱かれていた。

冷え切った体に、じかに触れてくる肌の温もりが心地よかった。

「せいめい・・・」

誰かの指が優しく頬を撫でたので、博雅は夢見心地でつぶやき、再び眠りの中に沈んでいった。



次に目覚めた時には、乾いた衣に着せ替えられ、暖かい衾の中に寝かされていた。

傍らに目をやると、いつものように白い狩衣をきちんと身に着けた晴明が座って覗き込んでいる。

「大丈夫か?」

博雅はうなずき、

「おまえが救ってくれたのだな」

晴明は気にするなと言うように微笑んで、白い手の甲を博雅の頬に押し当てた。それから、ふと訊ねた。

「何があったのだ?」

「おまえのもとにゆこうと堀川小路を歩いておったら、急に雪が降り出してな。」

博雅はぽつぽつと雪の中で結界に閉じ込められ、白い衣の女に襲われたことを語った。

「女に息を吹きかけられたら急に体が冷たくなって・・・」

そこではっとした。

「もしや、あれはいつぞやおまえが話していた雪の妖しだろうか?」

「そうかもしれぬ」

晴明は曖昧にうなずいて、

「なぜ、それが都に現れたのだ?」

訝しがる博雅に、

「まだ夜明けまで間がある。少し眠れ。」

と、優しく言った。

「うん」

博雅は素直にうなずいて、目を閉じた。



翌朝は、すっきりと晴れ上がった。

まんじりともせずに一夜を明かした雪虫は、朝餉の膳を運んできた常磐に、博雅の様子を尋ねた。

常磐はいったん引っ込んでから、

「ご案内致します。」

雪虫を導いた。

塗籠から日当たりのよい部屋に移された博雅は、晴明から手渡された煎じ薬をまずそうに飲んでいた。

「ひどい味だ。」

一口含んで顔を顰めた博雅を、晴明はたしなめた。

「飲まぬと肺の臓を悪くするぞ。」

「かえって具合が悪くなりそうだ。」

博雅はぶつぶつ言いながらも、大人しく薬を飲み干した。

そこへ、御簾の向こうから常磐が声をかけた。

「雪虫さまをお連れ致しました。」

「入って頂きなさい。」

晴明が命ずると、御簾がするすると巻き上げられ、常磐に導かれた雪虫が入ってきた。

「博雅さま・・・」

床の上に起き上がった博雅の顔色のよいのを見て、一瞬ほっとした顔をしたが、すぐに、その場に座し、両手をついて、深く頭を下げた。

「雪虫どのではありませぬか。なぜ、ここへ?」

博雅はうれしそうに、しかし、訝しげに晴明と雪虫とを見比べた。

「お手をお上げ下さい。」

晴明は優しく声をかけたが、雪虫はかぶりを振って、か細い声で言った。

「申し訳ございませぬ、博雅さま」

博雅は当惑し、晴明は顔を曇らせた。

「なぜ、あなたが謝られるのですか?」

博雅の問いかけに、雪虫は少し頭を上げ、

「昨夜、博雅さまを襲いました妖し、あれはわたくしの母でございます。」

ようやくそれだけ言い、その場に突っ伏すと、すすり泣きを始めた。

「雪虫どのの・・・?」

咄嗟に事態が呑み込めない博雅に、晴明は手短に昨日雪虫から聞いた話を語って聞かせた。

「何と・・・。」

博雅は一瞬言葉を失ったが、すぐに優しい言葉をかけた。

「雪虫どのには咎はありませぬよ。わたくしもこうして無事でおりますし。どうか、そのようにお泣きにならないで下さい。」

「・・・ありがとうございます・・・。」

雪虫は半身を起こし、袖で涙を拭った。

「伊予守さまのお屋敷にはお使いを出しておきました。さる女房の方のお屋敷をお訪ねしていて、急にご気分を悪くされたので、お泊り頂いた、と」

晴明の言葉に、雪虫は恐縮して真っ赤になった。

「まあ、そんなお気遣いまで・・・」

「お屋敷でもご心配なされているはず、今日はもうお帰りになった方がよろしいでしょう。」

「はい」

雪虫は素直にうなずいた。そして、再度深々と頭を下げた。

「失礼致します。」

涙を拭きながら、雪虫が式の導く牛車で送られていったあと、博雅は不審そうに晴明に言った。

「なぜ、雪虫どのの母ぎみは、おれを襲ったのだろう。」

晴明は博雅を見、大きくため息をついてから答えた。

「さあな」



続く


 むむ、今回、もしや「一般の方も安心して読める」範囲をやや踏み越えてしまったのでは、と懸念してます。大丈夫よね?(^_^;)

他の晴博の同人サイトさまでも、割とそういう傾向があるのではないかと思いますが、うちの博雅クン、受難やね。狐にとり憑かれるわ、鬼に襲われるわ、死にそうな重病にさせられるわ、挙句に、今度は雪女に凍らされる、と来た。(-_-;)

どれもこれも、博雅のピンチに血相変える晴明さまが書きたい一心なのよねん。



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