黄昏にもの思う安倍晴明


静かな秋の夕暮れであった。

晴れた空は薄水色で、透明な黄昏の光が庭に微妙な陰影を作っている。

庭に面した簀子に一人の男が座っていた。

片膝を立て、柱に背をもたせかけている。

白い狩衣に、雪のように白い髪、崩れた姿勢にも関わらず漂う凛としたたたずまいは、老いた鶴を思わせた。

夕風にそよぐ秋草を眺める顔に笑みはない。

あの日以来、時折浮かぶ皮肉な微笑の他は、その顔に笑みが浮かぶことはない。

このところ、彼はひどく疲れを感じるようになっていた。

彼は今年85才になった。

何もかもが順調だった。

地下(じげ)(※1)の身から、殿上人と呼ばれる身分にのぼった。

跡継ぎたちもそれぞれに才幹を示し、後顧の憂いもない。

ただし、彼を越え得るであろうものは、誰一人としておらぬが。

世の人々は、稀代の陰陽師よとその栄華を誉めそやす。

賀茂保憲が世を去って久しい。

蘆屋道満もかなり前にふっつりと消息を絶った。もはやこの世の人ではないのであろう。

ゆえに、彼を最も優れた陰陽師と世の人々の言うのが正しいのであろう。

しかし、それが一体何の意味があるのであろう。

彼は、ただ時の権力者に乞われるまま、己が術を用いただけだ。

それも、己が寿命が尽きるまでの暇つぶしに過ぎぬ。

それがために、時の権力者の信任を得、名声が高まったからと言って、どれほどの価値があるというのか。

彼は気だるげに頭を柱にもたせかけた。



とは言え、彼が何としても手に染めなかったことが一事だけあった。

それは、人を呪殺することである。

そのような話が持ち込まれるたび、彼の耳の底で声がするのだ。

―呪をもって人を殺すというようなことを、もしおまえができるのだったら・・・

―おれは、この世に生きているということがいやになってしまうだろうよ。(※2)

「博雅」



今でも鮮明に思い起こすことができる。

よく透る声、澄んだまなざし、夏の青空のような笑顔、微妙(みみょう)の楽を奏でる指先。

目を閉じれば、奏でる笛の音を確かに聴くことができた。

そして、あの日のことも、風にそよぐ花の色、日の光の匂いまで。



その日の朝、源博雅は私邸で突然倒れた。

そして、博雅の一子信義(※3)よりの知らせを受けて駆けつけた彼に看取られ、眠るように息を引き取ったのだ。

庭の満開の桜を見ながらつぶやいた「美しいな」というひとことが、いまわの言葉となった。

数えで63才という年齢は、この時代としては、決して早い死ではない。が、博雅の人柄を慕い、その楽の才を惜しんで嘆く人々は数多あった。

遺品の龍笛「葉二」は、博雅以外誰も吹くことはできぬと言われ、「博雅さまは、生前来世でも万秋楽を奏でたいものだ、と口にしておられたから、きっと都卒天の外院にお生まれ変わりになり、心ゆくまで好きな楽を奏でておられるのであろう」(※4)と噂された。

しかし、鳥辺野に立つ野辺の煙を見上げながら、彼は愀然として悟ったのである。

天に向かうあの煙と共に、彼の心もまた永遠に死んだのだ、と。



―それなのに、おれはあれから25年も生かされてしまったのだな。

あの時には、もうこれ以上一日たりとも生きてゆけぬ、と思ったのに。

いや、心が死んでしまった者を、生きているなどとは言えないであろう。

―今のおれの姿を見たら、おまえは何と思うであろうな。

彼の頬に、皮肉な笑みが薄くのぼった。

現在の彼の最大の庇護者は、藤原兼家の子道長であった。先年、並み居る競争者を押しのけ、藤原北家一門を束ねる内覧の地位に就き、娘彰子を後宮に納れて中宮とした。並々ならぬ気概と才腕と強運の持ち主であり、やがては栄華の頂点を極めるであろうことは、誰の目にもはっきりと見て取れた。

そんな道長が彼に対してこんなことを言ったのはいつのことであったか。



―のう、晴明

―は

―今度、このおれをぬしの屋敷に呼んではくれぬか。

彼は、年下の野心家の権力者の顔をまじまじと眺めた。

―わたくしの屋敷、でございますか。

―おお

道長は鷹揚にうなずいた。

―名高き陰陽師、安倍晴明が屋敷で、ぬしが使うておるという式神とやらに、酌をさせて酒を飲んでみたいものじゃ。

―はて、これは異なことを仰せられます。

彼は無表情のまま、

―わが屋敷の如き、むさくるしきところに左大臣さまのようなご身分のお方がお運びになりたいなどと。

道長はからからと笑った。

―そのようなことを、このわしが気にすると思うたか。むさくるしいとは言うても、よもや破れ屋というわけではあるまい。

―御意

―のう、晴明。よいではないか。一度そなたの屋敷に招いてくれい。

道長は顔を近づけて囁きかけてきた。

―はてさて、これは困りましたなあ。

彼は眉一つ動かさなかった。

―わが屋敷は、内裏の鬼門をお守りする大切な場所ゆえ、たとえ左大臣さまと言えどもようよう術の心得のない並のお方を、格別の用もなくお入れすることはかないませぬ。

道長の顔がさっと曇った。

―亡き源博雅の三位は、ようぬしの屋敷を訪ねておったと言うではないか。

その刹那、作り物の如き彼の顔にかすかに人間らしい表情が宿った。答える声も心なしか何かを押し殺しているかのように聞こえる。

―博雅さまは特別でございましたから。

―何

権力者は不快気に顔を歪めた。

―博雅は特別で、わしは特別ではないと言いやるのか

彼はまた表情のない顔に戻り、無言のまま両手をついて頭を下げた。

―ええい、もうよい!

道長は扇で脇息と叩き、荒っぽく席を立ったのだ。



―やれやれ

思い出して、彼は呆れたように軽く首を振った。

―ああいうお方はどうして何もかも己れの物とせねば気が済まぬのであろうな。

道長は、よほどこのことが気に入らなかったものか、最近、博雅のことを「天下の懈怠の白者(しれもの)」などと評したこと(※5)が、彼の耳にも入っていた。

博雅が逝った年には、道長はまだやっと数えで15であったというのに、である。

―悪いことをしたな、博雅。

だが、彼はさほどには気にしてはいなかった。

博雅の為人(ひととなり)とその楽の才とは、悪意ある一握りの者の中傷などには損なわれず、博雅を愛した人々によって、末永く語り継がれるとわかっていたから。



その時、何かの気配を感じたかのように、彼の目が宙の一点を見つめた。

その顔に、みるみるうちに25年の間、浮かんだことのない、柔らかな笑みが広がった。

「おまえは、ほんとうによい漢だな。」

そっと囁くと、

―おまえもな

涼やかな風の中で、よく透る声がそう答えたように聞こえたのは、空耳であったか。

彼はその笑みをそのままに、目を閉じ、顔を伏せた。

柱に背を預けたまま、うたた寝をしているかのようであった。

しかし、それまで屋敷に満ちていた、不思議なものたちの気配が、それきりふっつりと消えてしまった。



異変を察した安倍吉平(※6)が、父の屋敷に駆けつけ、簀子で息を引き取っている父晴明を見出したのは、それから数刻の後のことであった。




お気づきになった方もあるかもしれませんが、コンセプトはW.S.ベアリング・グールド『シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯』(小林司・東山あかね訳、河出文庫)のエピローグ、「黄昏に彷徨するシャーロック・ホームズ」から借りました。コンセプトだけで、内容は全然違うけど。

「波声」が余りに救いようがない話になっちゃったんで、そのフォローのつもりでもあったんですが、やっぱ暗い?(-_-;)

(註)

※1 地下・・・殿上人の対になる言葉で、六位以下の、清涼殿への昇殿が許されない身分の官人をさすことば。晴明が従四位下に叙せられ、殿上人となるのはのわあんと80才の時。

※2 「打臥の巫女」(『陰陽師 付喪神の巻』文春文庫p.297)より引用

※3 『尊卑分脈』によると博雅には信貞・信明・信義・至光の四人の子があり、このうち信義は父譲りの笛の名手で、あの敦実親王がこれを讃えて「双調の君」と称したという話が『古今著聞集』に見えます。詳しくはのちほど「博雅さまとわたくし」で。

※4 「博雅さまとわたくし」の『古事談』の項を参照して下さいまし。

※5 実際に藤原道長が源博雅のことをこのように評したと『小右記』(当時の貴族の日記)に見えます。「白者」というのは「愚か者」という意味。「あんなヤツ、ただの怠け者の大馬鹿だ」ぐらいのニュアンスでしょう。博雅が権力欲が薄く、政治的には見るべき事歴を残していないことを評したものと思われます。これを見て、管理人は道長が大嫌いになりました。(爆)あんたの基準で勝手に人のことをあれこれ言わんで欲しいよなっ。

※6 コミックの解説にもありますが、晴明の子は吉平・吉昌の二人。二人とも陰陽師となり、吉昌は陰陽頭も務めました。

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