晴明は呪符を持った両手を前にかざし、稲妻を受け止めていたが、ひとしきり呪を唱えると、稲妻を引き寄せるように両手で右の腋に引きつけ、

               「喝!」

              力強く前に押し出した。稲妻は跳ね返り雲の中に拡散して消えた。

               ―何と

               ―ぬしは眠りについておったのではなかったのか

               「眠っているふりをしておっただけよ。この時を待っておったのだ。」

               晴明は、しごく穏やかに言った。

               ―われらをたばかっておったと言うのか

               ―おのれ、小賢しい

               「おれは、あのようなやり方で誰ぞを思い通りにしようと言うのは、好かぬのでな。」

               晴明の唇にはいつものほのかな微笑が浮いている。

               「おれの力を借りたくば、おれのところに頼みに来るのが筋であろう。それを怪しげな術を用いて罠にかけるとは。」

               晴明の見せた微かな苛立ちは、半ば自らにも向けられているようであった。

               ―無礼な

               ―卑しき陰陽師の分際で

               ―我らに頼みに来い、とな?

               辺りの空気がピリピリと震えた。

               「ほう」

               晴明は笑みを浮かべたまま、

               「ならば訊くが、このおれが卑しき陰陽師だとすれば、ぬしらは一体何ぞ。」

               ―我らは

               ―我は

               ―我は

              口々の怨霊たちは名乗りを上げた。早良親王、井上皇后、他戸皇子・・・。いずれも世を去って後、怨霊として人々に恐れられた名ばかりである。

               「これはこれは」

               晴明は頭をのけぞらせて笑った。

               ―何を笑う

               ―無礼ではないか

               ―いずれもやんごとなき者ばかりぞ

               「これが笑わずにおられようか。」

               晴明は声に笑いを含ませたまま、言った。

               「ぬしらは、まことにおのれがそのような大層なものであると思うておるのか?」

               ―何!?

               ―どういうことだ?

「そのような高貴な方々は、既に世を去って久しい。恨みを残し、祟りをなしたお方もおるやもしれぬが、時がたてば、みな恨みも鎮まり、次の世へと去ってゆかれるものだ。」

               晴明の口調は淡々としている。

               「ぬしらはな、大水やら疫病やら戦といった災いを引き起こす、たちの悪い鬼どもの寄せ集めだ。」

               ―何と

          「代々の帝の世に災厄が起きるたびに、ぬしらに高貴な方々の怨霊、という呪を与え、御霊として、手っ取り早くこの地に封じてしまっただけのこと。」

               ―おおおお

               ―何としたこと

               ―われらは・・・

               ―われらは・・・

               雲は急速に力を弱め、萎んでゆく。

               「雑鬼は雑鬼らしく、大人しく封印されるがよい。」

               晴明が軽く印を結び、ひとことふたこと呪を唱えると、雲はあっさりと小さな煙と化し、ふうっと地に吸い込まれていった。

               晴明は、足元の石を拾い、懐から呪符を取り出して、ぺたっと貼り付け、煙が吸い込まれた地面に無造作に置いた。

               それから、後ろを振り返った。

               博雅は地面にぺったりと座り込んだまま、大きく目を見開いて、晴明を見上げていた。

               「博雅」

               晴明はかがみ込んで、いたわるようにその肩に手を置いた。

               「怪我はないか?」

               博雅は、なおも呆然としていたが、やがて囁くような声で、

               「晴明?まことに晴明なのだな」

               「そうだ」

               晴明はうなずいて見せ、やさしい、どこか切なげな声で言った。

               「すまぬ。おれのために、ずいぶんと辛い目に遭わせてしまった・・・」

               博雅は、崩れるように晴明の両腕にすがり、袖を握り締めた。

               ずっと抱え込んでいた、不安と恐怖と苛立ちと緊張とがいちどきにほどけた瞬間だった。

               大きく見開いた瞳から涙があふれたかと思うと、博雅は童のように声を上げて泣き出した。

               晴明は、そっと嗚咽する博雅の背を抱き寄せた。

               博雅は晴明の狩衣の胸に顔を埋めて、泣きじゃくる。

               「博雅、すまぬ・・・」

               晴明は、両腕を博雅の体に回して、ぎゅっと抱きしめ、震える背中をやさしく撫でてやった。

                   *           *            *

               やっと落ち着いて晴明の胸から顔を上げた博雅は、

               「あ」

               と小さく叫んで両手を引っ込めた。

               博雅が握り締めていた晴明の衣の袖に血がついている。

               「すまぬ、袖を」

               晴明は眉をひそめ、

               「見せてみろ」

               博雅の手を取った。

               博雅の両の手のひらに大きな切り傷がついており、血をにじませていた。

               「さっき箏の弦が切れた時に、切れた弦が当たったのだ。―大したことはない。」

               博雅は言ったが、晴明は袖で博雅の手のひらの血をぬぐい、まず左手を己が両手で包み込み、静かに気を込めた。

          暖かな感触を感じて、博雅が小さくため息をつく。晴明は続いて右手の方も同じようにし、両手を開いて見ると、傷はほとんど痕を残さずに消えていた。

               「驚いたな」

               博雅はまじまじと手のひらを眺め、

               「おまえ、このようなことも出来たのか。」

               感嘆のまなざしで晴明を見る。晴明は優しく微笑んで、懐から手巾を出し、涙でぐしゃぐしゃの博雅の顔を拭いてやった。

               「博雅どのの負われた傷は、その程度のものではありませぬぞ、晴明どの」

               晴明の背後から声がした。

               鳥居のたもとに朱呑童子が立っていた。傍らには雪虫の白い姿も見えた。

               晴明は立ち上がってそちらに向き直り、丁寧に一礼した。

               「存じております。博雅の身に起こったことは、全て我が心に感じておりました。」

               端正な顔にふっと苦渋の色がよぎる。

               「そして、朱呑童子どのにお助け頂いたことも」

               いま一度深々と頭を下げた。

               「かたじけのう存じまする。」

               「よしてくれぬか」

               朱呑は手を振った。

               「恩を着せるためにやったわけではない。博雅どのは我らにとっても大切なお方だ。

              それに、ぬしをここから救い出してもらわねば、我らとて危ういことになるところであったからの。」

               博雅も立ち上がって晴明と並んで立ち、頭を下げた。

               「まことにお世話になりました。朱呑童子どのにも、雪虫どのにも」

               博雅と目が合った雪虫はどぎまぎして、女の童のようなしぐさでぺこりと頭を下げた。

               「では参ります。」

               晴明が言うと、朱呑童子はうなずいた。

               「保憲どのと道満どのが待ちかねておろうぞ。」

               そう言う姿がふうっと薄くなり、雪虫の姿もやがてかき消え、

               晴明と博雅は、御霊社の境内に二人で立っていた。

               東の空が白々と明け初め、社の森では鳥の鳴き声が聞こえはじめていた。

               

               続く


               安倍晴明、職業・陰陽師、必殺技・カメハメ波。

               ・・・すみません、B級で。(泣)

ここまで書いてきて、どのキャラも、うちの話に出てくると、みーんな「晴博応援団」と化してしまうことに気づいてしまいました。ええ、保憲さまも朱呑さまも。三角関係とか総受って何?って感じです。だから道尊出ないんだわ。(「総受」ってわからない人は気にしないでね。)

               次回で完結します。長かった〜。

          

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