ほろほろと酒を飲んでいる。
夕立が去ったあとで、夏の庭は涼気に満たされていた。
「おれには、まだよくわからぬのだが」
盃を手に、博雅が言った。
「まことに、御霊とは早良の皇子らの怨霊ではなかったのか?」
「そうである、とも言えるし、そうではない、とも言えるな。」
謎めかした晴明の答えに、博雅は顔をしかめた。
「わかるように言え。」
「つまりよ、都に災厄をもたらすものを亡者の怨霊だと思えば、そうであるし、何か別の原因によるものだと思えばそうではない、ということだ。」
「結局、どちらなのだ。」
「どちらでもよいのだよ。みなが怨霊であると思えば、怨霊だという呪がかかって、まことの怨霊となるものだ。」
「また呪か」
「だから、おれは『怨霊ではない』と言うてその呪を解いたのよ。そして、『怨霊ではない雑鬼の寄せ集め』という呪を新たにかけてやったのだ。」
「つまり、おまえに呪をかけ直されたがために、あの御霊があのように易々と封じられてしまったわけか。」
「まあ、そういうことだ。」
「やはり、おまえはすごいな」
博雅は素直に感心した。それから、ふと思いついて、
「そう言えば、あの箏だがな」
「うむ」
「御霊社に古くより伝わる宝物であったものが、何年か前に壊れてしまって、打ち捨てられていたのだそうだよ。」
「ほう」
「かの玄象も、内裏の火事の折には自ら難を逃れたと言うが、名器というものは年を重ねると不思議な力を宿すようになるものなのだな。」
「そうだな」
晴明はうなずいた。
「それにしても」
博雅は首をかしげた。
「御霊たちは、あの時なにゆえおれに箏を弾かせたのであろう。」
「おまえに弾かせてみたかったのであろう。」
「しかし、弾けぬと言うておったぞ。」
「まことに弾かれたら、結界が壊れてしまうからなあ。それに、まことに並みの人には弾きこなせるものではなかったのだろう。」
「では」
「おまえの笛が気に入ったので、箏も弾かせてみたいと思うたのではないか」
「矛盾しているではないか」
「そうだな」
それだけ、博雅の笛に魅せられ、囚われてしまったのであろう。晴明は考えていたが、そんなことを言っても、博雅が困惑するだけなので、言わずにおいた。
「それに、あの折、妙なことを言われたな。」
「妙なこと?」
「おれがあの箏を弾けたら、おまえを目覚めさせるが、目覚めたからと言うて、おれについてゆくとは限らぬ、と」
博雅は思い出すような視線を晴明に向けた。
「どのような意味であったのであろう。」
晴明はかすかに不快げな色を浮かべた。
「それはな、博雅」
「うむ」
「奴らは、おれの心を操り、おのが意のままに動かそうとしておったのだよ。」
「そんなことができるのか?」
「奴らはできるつもりであったらしいがな。」
晴明は首をすくめた。
「それで、おれについてゆかぬかもしれぬ、などと言うたのだな。」
博雅は不愉快そうに眉をひそめた。
「そのようなことにならなくてよかった。おまえは、やはりすごいな。」
「なに、おまえのおかげだよ。」
晴明はさりげない口調で、
「おまえが来てくれねば、結局は御霊に屈してしまったであろうよ。」
「・・・」
博雅は、晴明の顔を見て、黙りこくってしまった。
「そんな顔をするな。」
晴明は少し身を乗り出し、そっと白い手をのべて博雅の頬に触れた。
「おれも、おまえも、こうして無事でいて、また一緒に酒を飲んでいるではないか。」
「うん」
博雅はこっくりとうなずいた。晴明を見つめ返す黒いつややかな瞳が、みるみる潤んでくる。晴明の手に頬を預けるようにし、目を伏せると、すうっと涙がひとすじこぼれた。
晴明が、そっと肩を引き寄せると、博雅は素直にその胸に体を預けた。
夏の夜は静かにふけていった
結
今回、余りにサツバツとしたアクション小作(大作でわない)だったので、最後はちょっと艶っぽくしめてみました。わたくし的には、ネットではここまでが限界でございます。なんてったって「一般の方も安心して読める小説」が主旨ですので〜。