気がつくと、博雅は、寝具の上に仰向けに寝かされていた。ま新しい小袖を着せられ、見慣れぬ衣が体にかけられている。
「気がつかれましたか。」
やさしい声がした。
見ると、少し離れたところに、雪のように白い袿を着た女が座っていた。肌の色が、袿の色と区別がつかぬほどに白い。美しい黒髪を鬢そぎにせず、耳にかけて首の後ろでしっ かりまとめている。飾り気のない様子の女である。
「あなたは・・・」
博雅が声をかけるより先に、女は几帳の向こう側に声をかけた。
「お兄さま、お目覚めになりました。」
「おお」
すぐにいらえがあり、先ほど博雅を救った若い男が姿を見せた。淡い山吹色の直衣に着替えている。
「ご気分はいかがかな、博雅どの」
男は気安い調子で声をかけ、女より手前に腰を下ろした。お兄さま、と呼んだ女よりもやや年若く見えるのが奇妙であった。
「はあ、気分は・・・」
言いかけて、博雅は、鬼につけられた傷のことを思い出した。思わず、半身を起こして、胸をさぐった。
胸には赤く痕が残ってはいたが、傷は完全にふさがっていた。痛みもない。
博雅は当惑して、
「わたしは確か鬼に斬りつけられて・・・」
男は心地よさげに笑い、女の方を振り返った。
「この雪虫は癒しの術を心得ておってな。あの程度の傷ならば数刻で癒してしまうことができるのだよ。」
雪虫、と呼ばれた女は、白い顔をほんのり紅色に染めて恥ずかしそうにうつむいた。
「それでは・・・」
博雅は居ずまいを正した。
「あなた方はわたしの命を救って下さったのですね。」
「気になさることはない。」
男はやさしく言った。
「いつもよい笛を聴かせて頂いている、ほんのささやかな礼だ。我らとて、あなたを死なせたくはなかったのだよ。」
「わたしの笛を・・・」
博雅は首をかしげ、
「以前、お会いしたことがありましょうか?」
男は、また気持ちのよい笑い声をあげた。
「わたしをお忘れかな、博雅どの」
「は?」
「この笛に覚えがおありだろう。」
懐から龍笛を取り出して、博雅に示した。
ひと目でわかった。
「これは、いつぞや、葉二と引き換えた・・・」
顔を上げて、男の顔を見た。
「あなたは、朱呑童子どの」
美しい顔の鬼は、やさしくうなずいた。
「しかし、以前お会いした時は、童子の姿をしておられた・・・」
「我らに見た目の年など、無意味なのだよ。」
朱呑童子は軽く手を振り、
「ここは我が結界の内だ。何の遠慮もいらぬ。安心しておられよ。」
雪虫という女の方に目を向けた。
「この雪虫は我が妹だ。父親は違うがな。」
「妹・・・」
博雅は、つつましくうつむいている雪虫を見た。このようにやさしげな鬼もあるものなのか。姿だけでなく、その心根もまたやさしいものであることは、話し方や立ち居振る舞いからも伝わってくる。
その博雅の思いを見抜いたかのように、朱呑が言った。
「雪虫はな、博雅どの、人と鬼との間に生まれた娘なのだよ。」
「なんと」
博雅は目を見張った。しかし、雪虫の表情がさっと曇ったのを見て、口をつぐんだ。
それよりも大事なことがある。
「朱呑童子どの」
「うむ」
「わたしは御霊社へゆかねばなりませぬ。」
「晴明どのを救うのだな」
「ご存知でしたか」
「ご存知も何も」
朱呑は顔をしかめた。
「御霊が解き放たれたおかげで、この都全体の気が均衡を失って大きく乱れておる。あのような卑しき雑鬼どもが我が物顔でのさばって困っておったのだ。その上さらに、大きな力を取り込んだらしく、気の乱れがさらにひどくなっておる。」
「大きな力・・・」
「晴明どのだ。」
博雅は居ても立ってもいられなくなった。
「こうしてはおられませぬ。」
「まあ、待たれよ」
すぐにも、そのまま飛び出して行きそうな博雅を、朱呑はなだめた。
「いま少し体を休めねば」
「しかし、こうしておる間にも晴明は・・・」
訴える博雅の瞳の強い光に、美しい鬼は困惑し、沈思した。
「朱呑童子どの」
博雅に重ねて呼びかけられ、朱呑はやむなく妹に声をかけた。
「雪虫、お支度を」
「はい」
雪虫は頭を下げ、几帳の向こうに消えた。
「わたしは、保憲どのから頂いた護符を失ってしまいました。いかにして鬼たちに立ち向かったら、よいでしょう。」
博雅が訊くと、朱呑はこともなげに、
「笛を吹きながら、ゆかれればよい」
「笛を?」
雪虫が乱れ箱を持って、几帳の内に入ってきた。
「博雅さまのお召し物は破れてしまったり、お血で汚れてしまいましたので、お召しかえを
ご用意いたしましたの。」
それから、青色の袱紗を差し出した。
「懐やお袖の中の物ですわ」
受け取って、中を改めると、琴の爪や手巾、懐紙といったこまごまとしたものと共に、葉二
が包まれていた。
「これは、かたじけのう・・・」
博雅は少し赤くなった。
「博雅どのがその葉二を吹かれながらゆけば、どのような鬼も手出しをいたさぬ。」
「そうなのですか?」
博雅はしげしげと笛を見た。
「この笛には、そのように不思議な力があるのですね」
「・・・いや、笛にではなく」
吹き手の方に、と朱呑は言いたかったが、博雅の邪気のない表情に口をつぐみ、静かに微笑んだ。
雪虫が用意した二藍の直衣を身につけた博雅は、手を貸してくれた雪虫に丁寧に礼を言った。
雪虫は「いいえ」と口の中で言って、また白い顔を薄紅色にしてうつむいてしまった。
「では、参ります。」
博雅は、葉二を手に、朱呑童子に頭を下げた。
「気をつけていかれよ。何かあればまた駆けつけようぞ。」
「お気をつけて」
兄妹の声をあとに、博雅は再び闇の中へと足を踏み出した。
図らずも、オールスターキャストになってしまいました。しかも、よそ様の朱呑と比べて
なんて竹を割ったような、爽やかなご気性。所詮、私には耽美もしっとりも艶っぽいも無縁
なんじゃ〜。(号泣)