鬱蒼とした夏草の生い茂る原に、一軒の小屋が建っていて、その前に牛車が一台止まっていた。

                                   従者も牛飼童もおらず、ただ真っ黒な牛が大人しく草を食んでいる。

                  後ろの簾が巻き上げられ、黒い水干姿の男が姿を現した。肩に小さな小さな猫が丸くなっている。

                  日はすでに西の山にかかり、辺りは薄暗くなっている。

                  その男―賀茂保憲は、車を降りると、今にも崩れそうなあばら家に向かって声をかけた。

                  「道満、おるか」

                  いらえがない。が、保憲は頓着する様子もなく、

                  「入るぞ。」

                  と、ずかずかと中へ入っていった。

                  暗くなった室内にぽつりと灯りがともっている。

                  蘆屋道満は、板敷きの上にあぐらをかいて酒を飲んでいた。

                  「おう、保憲ではないか。久しいの。」

                  「使いは送ったはずだが。」

                  「おう、今朝方、ぬしの式は確かにやって来たわ。ただ、出不精のぬしが一体何の用があって、

                 わざわざこのように遠くまで出向いてくるかと思っての。」

                  保憲が渋い顔をしたのは、「出不精」と言われたからではなかった。それは本当のことなのだから仕方がないのである。

                  「とぼけてもらっては困る。こちらの用向きはとうに承知のはずだ。」

                  「はて」

                  「こたびの災厄の原因を作ったは、ぬしであろう。」

                  「災厄とな?」

                  保憲は辛抱強く、

                  「おぬし、御霊社の封印の玉をすりかえたであろう。」

                  「おお、あれか」

                  道満はわざとらしく手を打った。

                  「あれは滅多にない秘宝ぞ。唐土の国よりさらに西方にある、崑崙という神の住む山より産したと言われる貴重な玉じゃ。」

                  にやりと笑った。

                  「しかも、強力な呪がかかっておる。」

                  「当たり前だ。早良の皇子の御霊を鎮めるためのものなのだからな。」

                  保憲はつぶやいた。

                  「そんな面白い物をむざむざ社の下に埋めておくのは惜しいではないか。そう思ったら、どうしても欲しゅうなっての。」

                  「これとすりかえたわけだな。」

                  保憲は、袂から白い勾玉を取り出して、投げて寄越した。

                  「おう、そうじゃ。わしが軽くこれに呪をかけて、代わりに埋めておいたのだ。」

              「おかげで、御霊社の界隈はひどい瘴気だ。並みの者は誰も近寄れん。おれも護符を身につけていって、これを拾ってくるのがやっとであった。」

                  「ほう、御霊社の封印が解けたのか。」

                  「おぬしが解いたのであろう。晴明が姿を消しておるのも、そのせいだということもわかっておるのであろうが。」

                  「晴明が?」

                  「御霊たちに捕らえられておる。晴明の力を我が物として、この世にさらなる災いをもたらそうとしておるのだ。」

                  「面白いではないか。」

                  「ぬしはそう言うがな」

                  保憲は、相変わらず渋い顔だが、苛立ってはいなかった。

         「ぬしが言う面白いことも、人の世があってのことぞ。人の世が滅びてしまえば、ぬしも寿命が尽きるその日まで、ただ日を数えて過ごすことになろうぞ。」

                  「まあな」

                  道満は渋々認めた。

                  「晴明の力が闇に取り込まれれれば、必ずや人の世は滅びる。そうは思わぬか?」

                  「思う。」

                  これまた、不承不承道満はうなずいた。が、とぼけた口調で混ぜっ返すのを忘れなかった。

                  「晴明は美しいからのう。わしやぬしでは、闇の御方がたも満足されなかったのであろう。」

                  「晴明は、おれやぬしとは違うよ。」

                  保憲はそっけなく言った。それから、

                  「そこで取引だ。」

                  「取引?」

                  「崑崙の玉は、ぬしにくれてやる。あの男―帝には内密だがな。その代わり、おれに手を貸せ。」

                  「ぬしに手を貸すだと?」

                  道満はあからさまに煩わしそうな顔をした。

                  「ぬしがまいた種ぞ。少しは償え。」

                  「ふん」

「おれなんぞ、晴明がいなくなったばかりに、あちらこちら駆けずり回らされて、面倒なことこの上ないわ。帝は近々神泉苑で御霊会を催すつもりだ。それまでには晴明を連れ戻さねば、おれは働きすぎで死んでしまう。」

                  「愚痴かよ」

                  道満は苦笑いして、

                  「では、何をすればよいのじゃ」

                  「これから木島社へゆく。」

                  「木島―内裏の裏鬼門か。」

                  「そうだ。」

                  保憲はうなずいた。

                  「そこから陰態に入る。」

                  「ほう」

                  「もはや、陽態では御霊社には一歩も近づけん。裏鬼門から陰態に入って、鬼門の御霊社まで行き、晴明を連れ戻す。」

                  「それには、誰かが裏鬼門で入り口を開いておかねばならぬな。」

                  「それをぬしに頼みたい。おれが陰態に入っている間、入り口を守ってもらいたいのだ。」

                  「わしのような者を信じてよいのかの?」

                  道満が言うと、保憲は首をすくめた。

                  「信じるも信じぬも、ぬしにしか頼めぬ。それにこれは取引だからな。」

                  「ふうむ」

                  道満は顎をかいた。

                  「頼めぬか?」

                  「いや、そうではない。」

                  道満は目を細めて保憲をじっと見た。

                  「ぬしに晴明を連れ戻せるかの」

                  「む」

                  保憲の口がへの字になった。

                  「ぬしは、珍しく体を張るつもりのようだが、ぬしの力でも、晴明の力を取り込んだ御霊たちにそうそう太刀打ちできるかどうか。」

                  「―」

                  「命を落とすことにもなりかねんそ。」

                  「そんなことはわかっておる。」

                  保憲は表情を殺した。

                  「しかし、他に方法が―」

                  道満は容赦なく言葉をかぶせた。

                  「晴明を確実に連れ戻すには、あの男に頼むしかなかろうて。」

                  「あの男―」

                  保憲は眉をひそめ、

                  「たわけたことを」

                  首を横に振った。

                  「あの方の身に何かあってみろ。おれもぬしも晴明に殺されてしまうぞ。」

                  道満は答えない。保憲は吐息をついた。

                  「おれとてわかっておる。晴明を連れ戻せるのは、博雅さましかおらぬ、とな。しかし―」

                  保憲の述懐は、背後から響いてきたよく透る声にさえぎられた。

                  「それはまことですか?」

                  振り返ると、とっぷり暮れた夜の闇に包まれて、戸口に立っている者がいる。

                  「保憲どの」

                  一歩前に出て、灯火に顔をさらした。

                  「博雅さま・・・」

                  保憲は大きく吐息をつき、頭を抱えてしまった。

                                  

                     続く


                  どええ〜、何ということでしょう。延々とオヤジどもの会話が続いた挙句、

                 晴明も博雅もほとんど出てこないとわ。まことに申し訳ごさいません。

                  保憲と道満って原作では絡んでないですけど、絡ませてみたら、意外といい感じで

                 会話が弾むんで、つい調子に乗ってしまいました・・・。

                  オヤジどもが状況を説明してくれてるんだ、と思って読み流して下さい。(;_;)

                  ちなみに、以前保憲さまのイメージは、若い頃の中条きよし氏、と書きましたが、

                 「利家とまつ」を見てたら、今の中条氏でもいいかな〜とか思っちゃいました。

                  道満は、NHKドラマ版の寺尾聡氏。唯一ハマってた。(^^;)

           

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