その夜。
晴明と博雅は、徒歩で東山に向かった。
夜空には、望月から少し日の経った月がぽっかりと浮かび、辺りはそこそこ明るい。
亡骸が見つかった辺りがよく見通せる場所まで来ると、二人は一本の杉の木の根元に身を潜ませた。
「いつものことだが、この木の周りには結界が張ってある。ここから踏み出したり、大きな声を上げたりせぬ限り、あちらからこちらが見えることはない」
晴明が囁いた。
「―わかった」
博雅は緊張した面持ちで頷いた。
晴明は、懐から何やら字が書き付けられた紙の札と、小刀を取り出した。
器用に紙を人形(ひとがた)に切り取る。
これを唇に当てて呪を唱えると、手を延ばして少し離れた地面に置いた。
すると、人形は旅姿の男になって、夜道を歩き始めた。
それが、十歩も歩かぬうちに、
突然、月の光の下に湧いて出たかのように、一人の男が姿を現した。
烏帽子を着け、狩衣姿の身分ある男に見えたが、その手には、青白く光る抜き身の太刀が握られていた。
―俊平どの・・・
博雅は声に出さぬまま、呻いた。
鬼かと思われるほどに、凄まじい形相ではあるが、一度だけ会ったことのある菅原俊平の顔に間違いなかった。
「キシャアアアアア」
俊平の喉から、人のものとは思えぬような、甲高い叫び声が漏れたかと思うと、太刀が一閃して男を袈裟懸けに斬り倒した、かに見えた。
だが、俊平の太刀が男の肩に食い込んだ瞬間、
男の体から眩い光が放たれた。
俊平は大きく目を見開いたが、顔を背けたり、太刀から手を離したりせず、恐ろしい目つきで光り輝く男を睨みつけた。
男の姿は一変していた。
黄金の甲冑を身に纏い、髪をみずらに結い、立派な髯を生やした厳めしい姿である。
己が体に刺された刃を両手で握り締め、輝く目で俊平を見下ろしていた。
「あれは―」
博雅は囁くような声で問うと、晴明も低い声で、
「あの人形は祇園社で頂いた札から作ったのだ。それで、須佐之男命のお力を、ほんの一部だが地上に顕現させたのさ」
と答えた。それから、
「おまえはここを動くなよ」
と博雅に告げ、自分は結界の外に出、甲冑の男の背後に立った。
人差し指と中指を額に当て、一心に呪を唱える。
すると、甲冑の男が握り締めた太刀の刃が金色に変じた。
金色の光は、俊平が握る柄(つか)にまで及ぼうとした。
が、その刹那、
突如として俊平の体から青白い光が放たれた。
青白く輝く俊平は、渾身の力で男の手から太刀を引き抜き、返す刀で男の首を刎ねた。
掻き消すように男の姿は消えた。紙の人形がはらりと地面に落ちる。
俊平は、そのまま丸腰で立つ晴明の頭上に太刀を振り下ろそうとする。
だが、
シャキーン
耳障りな金属音が響き、パシパシッと火花が散って、
振り下ろされた刃は、別の刃によって阻まれた。
博雅が太刀を抜いて晴明の前に立ち塞がり、俊平の太刀を受け止めたのである。
「博雅・・・!」
「晴明!今のうちに何とかしろ!」
俊平は物凄い力で圧してくる。
博雅はじりじりと後退った。
その隙に、晴明は地面に落ちた人形を拾い上げ、俊平の背後に回り、呪を唱えながら俊平の背に人形を押し付けた。
人形は眩い金色の光を発し、俊平の体を包む青白い光を圧せんとする。
「キシャアアア」
俊平は頭をのけぞらせ、金属的な叫び声をあげ、もがき苦しむように身悶えた。
しかし、博雅を圧す太刀の力は全く衰えず、堪えかねた博雅はがっくりと膝をついた。歯を食いしばり、渾身の力で俊平の太刀を受け止めている。
晴明はなおも呪を唱えながら、俊平の背に指を押し当て続けている。
やがて、遂に人形の発する金色の輝きが、俊平の青白い光を呑み込んだ。
「ぐわああああ」
俊平は太刀から片手を離し、弾かれるようにして太刀を引いたかと思うと、両腕を広げ、体を海老反りにし、苦悶の叫び声を上げた。
勢い余った博雅は、前のめりにつんのめって、地面に転がる。
頭を起こして見ると、晴明はなおも悶え苦しむ俊平の背に手を当てたまま呪を唱えている。
そうして、俊平の体を包む光が奇妙に変化し始めたかと思うと、
どう
という轟音を立てて、一本の光の柱が俊平の体から天に向かって立ち上がった。
それは、蛇のようにくねくねとうねったかと思うと、龍のような形を取り、夜空に向かって上ってゆこうとする。
「博雅!太刀を!」
晴明に声をかけられた博雅は、慌てて身を起こし、自分の太刀から手を離すと、俊平の手から落ちた太刀を拾い上げた。
「その太刀を天にかざせ!」
晴明が重ねて叫び、博雅は言われた通り、刃を上に向けて空にかざした。
すると、天に向かって上っていた光の龍は、ふうっと動きを止めた。
何かに抗うように身悶えしたが、やがて、引き摺られるようにして頭を下に向けた。
そして、真っ直ぐ博雅のかざす太刀に向かって下りてゆく。
「・・・!」
博雅は戦慄した。
が、いつの間にか晴明がその背後に回っていて、博雅の肩に両手を置き、低く呪を唱え始める。
晴明の声と体温を感じて、博雅は落ち着いた。
きっと目を上げ、轟々と音を立てながら向かってくる光の龍を真正面から見据えた。
次の瞬間、
バシイイイ
何かが弾けるような鋭い音が響いて、龍の形をした光は見る見るうちに太刀に吸い込まれてゆく。
博雅は目を閉じ、地を踏む両の足と柄を握る手に力を込めて、衝撃に耐えた。
晴明の呪を唱える声が一際大きくなる。
そして、
全身を包んだ激しい衝撃が、唐突に収まったので、博雅は目を開いた。
辺りを満たしていた禍々しい光は、跡形もなく、夜空にはぽっかりと月が浮かび、地面には俊平が倒れ伏していた。
「―終わったのか?」
大きく息をついて、博雅が振り返ると、晴明は厳しい顔で、
「いや、まだだ」
と答えた。