道満はにいっと歯茎まで見せて笑うと、

 「どうじゃ、天気もよいゆえ、外で話さぬか」

 確かに外はからりと晴れ上がり、どこまでも高い秋の青空には、雲ひとつ浮かんでいない。

 車を降りた晴明と博雅は、道満と共に緑の草の上に、車座になって腰を下ろした。

 木津川の銀色の流れが程近くに見え、さらにその向こうには、生駒の山々が横たわっているのが見える。

「道満どのも、あの阿修羅のお方のことを知っていたのですか?」

 博雅が問うと、道満は首を竦めた。

「知っておるもなにも、あれはわしの妻であった女じゃ」

「は?」

 博雅は口をあんぐりと開けた。

 盗人とはいえ若く美しい娘と、目の前の薄汚い老人が夫婦であったと考えるのは、なかなか難しいことであった。

「・・・し、しかし、随分と若かったようだが・・・」

「あの女は外に見せておるより一回りは年を取っておる。おぬしらとそうは変わらんじゃろう」

「はあ・・・」

「あの女はのう、元の名は梨花というて、わしと同じ播磨の生まれじゃ・・・」

 とある旅の陰陽師に育てられたので、方術の心得があるのだという。

 道満は、自分は破れ寺やらあばら家だのに平気で住んでいるくせに、この若くて美しい妻のためには、四条堀川辺りに小ぎれいな家を手に入れてそこに住まわせていた。

 この梨花と晴明が、ひょんなことで知り合ったのは、晴明がまだ賀茂忠行のもとにあった頃であった。

 梨花が夜、四条堀川の辻に、顔のない女の姿をした式を立たせて、通りかかる人を驚かすといういたずらをしたところ、

「騒ぎが大きうなってのう。それで、賀茂忠行のところに何とかせい、という話になったのよ」

 道満は晴明を見やった。

「そうであったな、晴明」

「はい」

 晴明は頷いた。

 その白い顔からは何も読み取れないが、紅い唇にはいつもの笑みが浮いていなかった。

「で、忠行はこの男を遣わしたのさ・・・」

 晴明は立ちどころに仕掛けを見破り、式を返して梨花の居所を探し当てた。

「で、やって来たのが、この通り美しい男じゃて、梨花もよからぬ気を起こしてな」

「よからぬ気?」

 博雅は晴明を見やった。

「・・・」

 晴明は、何気ないふうで生駒の山なみを眺めている。

「つまりよ、こう言うたのよ。式を使うての悪さを止める代わりに、ぬしさまがここへ通うて下さらぬか、とな」

「ほお」

 博雅は、軽く顎を突き出すようにして、また晴明を見た。

「で、おまえはそれを承知したのだな」

「・・・何故承知したと思うのだ」

 晴明は、生駒の山に目をやったまま言い返した。

「あれほどに美しい女人だからな・・・おまえが断るとはとても思えぬ」

 晴明はそこで首を巡らせて博雅を目を合わせた。

「しかし、おれはまさかあの道満どのの妻女であるとは思わなかったのだぞ」

「やはり承知したのだな」

「だから、人の妻であるとは知らなかったのだ」

「おまえがそんなことに拘るとは思えんが」

「何故そのように怒るのだ、博雅」

「怒ってなぞおらん」

 博雅は口をとがらせた。

「ただ」

「ただ?」

「そのように、まるで商いか何かの取引のようにして女人と契るというのが気に入らん」

「やはり怒っておるではないか」

「だから、怒ってなどおらぬ、と言うておろう」

 博雅はぷんとそっぽを向いた。

「まあまあ」

 面白そうに二人のやり取りを眺めていた道満が、口を挟んだ。

「わしも、そう始終梨花の元に通うていたわけではなし、わしよりも若くて美しい男に気を移すのも致し方なかろうと思うていたでな」

「まことですか?」

 博雅は驚いて道満を見た。

「と言うより」

 晴明が言った。

「梨花どのに言い寄る男がいたら、どんなふうにからかってやろうか、とわくわくして待っておられたのだよ」

「まあ、そんなところじゃ」

 道満は澄ましている。

「ところが、よりもよって現れたのは、この晴明じゃ。下手にからこうたら、こちらが痛い目に会いかねんでな、面倒になったので放っておいたのだよ」

「わたくしとて、道満どのが妻女と知った上で、そのお方に通うほどは肝は座っておらぬゆえ、梨花どのとはそれきりになったのさ」

「ほおお」

 博雅はまだ不機嫌である。

「それが梨花の気に障ったらしくてな。ある時、ぷいと四条堀川の家を出てそれきり二度と戻ってはこんかったのじゃ」

「何故・・・」

 道満は妻の不実を殊更に咎め立てはしなかったのであろうに。

「あれは誇り高い女じゃ。わしが妬忌せなんだことが逆に面白くなかったのであろう。・・・晴明も本気であれに惚れておったわけでもないとくれば、誇りが傷つけられたように思うたのであろうな」

「もとより戯れの恋でありましたから・・・梨花どのとてそのお積りであったはず・・・」

 晴明は呟くように言い、意味ありげな視線を道満に投げた。

「ご妻女のことをお探しにならなかったのですか?」

 博雅が問うと、道満は首を竦めた。

「あれは一人でも十分に生きてゆける女ぞ。何を案ずる必要がある」

 博雅は困惑し、少々ぶしつけとは思ったが、敢えて問うた。

「道満どのは、梨花どのを愛おしいとは思うておられなかったのですか?」

「・・・どうじゃろうのう」

 道満ははぐらかすように答えた。

「女というものはのう、うっかり惚れたと言えば、その相手を己れのものとしたような気になるものじゃ」

「・・・」

「いや、男も同じかもしれぬがな」

「道満どの・・・」

「蘆屋道満が、ただ一人の女のものとなるなんぞ、様にならぬ話じゃと思わんか?のう、晴明」

「・・・」

 晴明は苦笑した。

「しかし、そのような次第であれば、梨花どのが道満どのと晴明を恨む、というのはちと筋が違いませぬか」

 博雅は言ったが、道満はぽつりと、

「言うたであろう、誇り高い女じゃ、とな」

「・・・」

「あれは、男と女の駆け引きで、わしにも晴明にも負けたのじゃ。負けず嫌いのたちじゃて、わしらに意趣を返したいと思うのも無理からぬことよ。のう、晴明」

「人の心は難しゅうございますからな」

 晴明は心なしか愁いを含んだ口調で答えた。



続く


 安倍晴明伝説にお詳しい方なら、「梨花」という名前を見ただけでぴんと来られたのではないかと思います。江戸時代の読本『安倍晴明物語』に登場する晴明の妻です。(以前見たサイトには、中世の謡曲か説話、と出ていたのですが、江戸の戯作だったのですね)それも、晴明が陰陽道の勉強のため中国に留学している間に蘆屋道満と密通して、何も知らずに帰国した晴明を、道満と共謀して殺してしまった、という極悪妻だったりして。火曜ナントカ劇場みたい・・・。

 もちろん、獏版『陰陽師』の世界ではあり得ない設定なのですけど、もし『陰陽師』の世界に翻案したらこうなるかな、と思って書いてみたのですが、どうでしょう?



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