夏草の間にふらりと姿を消した道満と別れて、晴明と博雅は再び車中の人となった。

 しばらく無言で車の揺れに身を任せてから、晴明がふと口を開いた。

「梨花どのはな、博雅」

「・・・」

「本心から道満どのを慕うておったのよ。・・・おそらく今でもな」

「そうなのか?」

「おれに近づいたのも、ただ道満どのの気を引きたい一心でのことだ」

「だが、道満どのは・・・」

「うむ。ああいうお方だからな。・・・梨花どのの想いに本気で答えるつもりは金輪際ないであろう」

「それは・・・」

「梨花どのとしては、道満どのを恨むしか心のやり場があるまい」

「晴明」

 博雅はまっすぐに晴明の目を見据えて、

「おまえはどうなのだ」

「どう、とは?」

「おまえは梨花どのを本心から愛おしいと思うておったのか」

 晴明はすうっと視線を反らせた。

「言うたであろう、戯れの恋であったと」

「ならば何故梨花どのはおまえのことまで恨んでおるのだ」

「・・・」

「おまえが梨花どのに『本気で惚れた』と言うたからでないのか?そう言うたのにおまえが逃げたからなのではないか?」

「博雅」

 晴明は目を反らしたまま、

「先ほど言うたが、梨花どのがおれに近づいたのは、ただ道満どのの気を引きたかったがためのこと・・・それに気づいたから、おれは身を引いたのだ」

「だからと言うて、そう容易く諦められるものなのか?」

「・・・おまえ、何をそのようにむきになっておる」

「むきになってなどおらぬ。ただ納得がゆかぬだけだ」

 晴明は、小さく息を吐いて、

「結局、おれはまだ若くて、己れのことがよくわかっていなかったのよ。一人の女に喜んで縛られたいと思うたちではない、とな」

「・・・」

「だから、梨花どのが道満どのの妻であり、おれとのことは余り寄り付かぬ道満どのへのあてつけだと知った途端、すうっと気持ちが冷めてしまったのだよ。・・・それを、梨花どのはおれの裏切りだと捉えたのかもしれん」

「晴明・・・」

「そんな顔をするな、博雅。言うたろう?おれを人の世につなぎとめておけるのは、おまえだけだ、とな」

 博雅はぱっと赤くなって目をそらした。

「・・・ばか」

 そして、目をそらしたまま、照れを隠すように話題を変えた。

「そう言えば、一つわからぬことがある」

「何だ」

「おまえ、先夜はどうしておれの居所がわかったのだ?」

「それは」

 晴明は微笑した。

「おまえの笛が聴こえたからさ」

「笛が?」

 確かに、あの夜、あの部屋で笛は奏でたが。

「梨花どのは、結界が張っておるゆえ、外に音は聴こえぬ、と・・・」

「おお」

 晴明はあっさり頷いて、

「確かにこの耳には聴こえなかったな」

「しかし、おまえはさっき・・・」

「月が教えてくれたのだよ」

「月だと?」

「ああ、月だ」



 二日前の夜のこと。

 寺中が寝静まった頃、寝入ってしまった博雅を坊に残し、晴明は蔵に向かった。

 そして、蔵の戸口にちょっとした仕掛けを施した。

「仕掛け?」

 博雅が問うと、晴明は袖の中から、両端を結んで輪にした縄を取り出した。

「これを戸口に置いてきたのさ」

「何なのだ、これは」

「蔵の中に入ろうとして、これを踏んだり跨いだりすると、ただ、蔵の周りをぐるぐる歩き回るばかりになって、蔵の中に入ることも、蔵から離れぬことも叶わぬようになるのさ。・・・手で触れたりしても同じだ」

「・・・」

 触れようと手を伸ばした博雅は、慌てて引っ込めた。

「もう呪はかかっておらぬよ。・・・ただの縄だ」

 晴明は笑った。

「梨花どのなら見破ると思うたが、それにしても蔵の中に入ることはできぬからな」

「ほう」

「試したのだよ。まことに盗人が梨花どのであるのかどうか」

 そうして坊に戻ったところ、寝ていたはずの博雅がいない。

 何処へ・・・と思っていたところに、笛の音が聴こえてきた。

 大方、月の光に誘われでもしたのであろう、と晴明は笛の音の方へ足を向けた。

 しかし、晴明が幾らも笛の音に近づかぬうちに、不意にその音が途切れた。

 あわてて、晴明は笛の音がした方へ走ったが、博雅の姿はどこにもなかった。

 それから一晩中探し回って、寺の内にはいないらしいと気づいた晴明は、正直途方にくれた。

「その時には、まさか梨花どのに拐されたとは思わなかったからなあ」

 翌朝、ひょっこり戻ってはこないかと坊で少し待ってみてから、寺を出、隣接する東大寺や春日の社にも足を運んだり、式を飛ばしたりしてみたが、全く手がかりが得られぬまま、日が暮れた。

「そのうち月が上ったのでな、どうしたものかとその月を眺めておったら」

「うむ」

「月の光から笛の音の響きが伝わってきたのだよ」

「しかし、おまえは先ほど笛の音は聴こえなかった、と・・・」

「耳には何も聴こえなかった。ただ、月の光がおまえの笛の響きに感じて震えていたのが見えたのさ」

「そんなものが見えるのか?」

 博雅は目を見張った。

「おまえの笛が特別なのだよ」

 晴明は微笑して、

「その響きを辿っていったら、梨花どのの住居であったというわけだ」

「ふうん」

 博雅は感心した。

「おまえはやはりすごいな」

 晴明は苦笑した。

「だから言うたではないか」

「何をだ」

「おまえの笛が特別だ、と」

「・・・」

「すごいのはおまえだよ」

 博雅はまた赤くなって、目を反らした。

「・・・おまえは本当によい漢だよ」

 晴明が笑いを含んだ声で言うと、

「・・・また馬鹿にしおって」

 博雅は拗ねた声を出した。

 牛車はゴトゴトと規則正しく揺れながら、都へ向かって進んでいった。




 これだけ引っ張っておいて、結局は痴情のもつれかーい、と皆様のお怒りの声が聞こえるようでございます・・・。

 そのうち何かコテコテのB級アクションで使いたいキャラではありますねん、梨花。

(と言いながら、全然出てこないな、雪虫とか・・・)



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