それから数刻の後であった。

 まだ、朝の勤行も始まらぬ早暁である。

 ぐっすりと寝込んでいた博雅は、晴明に揺り起こされた。

「起きろ、博雅」

 目を開くと、すっかり狩衣を身に着けた晴明が覗き込んでいる。

「何だ・・・?」

 辺りがまだ暗いので、博雅が少々不機嫌そうに声を出すと、

「覚暁さまがおいでだ」

「お使いの方が?」

「いや、ご本人だ。・・・すぐおれに来てもらいたいのだそうだ」

「ならば、おまえ一人でゆけ」

 博雅はごねたが、

「いやいや、博雅さまをお起ししてくるので、しばしお待ちを・・・と言うて、表で待って頂いておる」

「・・・晴明」

 仕方なく、博雅は起き上がった。

 どこからともなく蜜虫が現れ、身支度を手伝う。

 二人で表に出ると、覚暁という僧が青い顔をして立っていた。

 かなり位高き僧と聞いていたが、稚児なども連れず、ただ一人である。

 待たされて、かなり苛立っているようであったが、

「お待たせ致しました、覚暁さま」

 晴明は涼しい顔だ。

 覚暁は怒った顔で口を開いたが、博雅の手前「遅い」などとは言えぬようで、

「とにかく、疾く我が房へお出で願おう。まもなく朝のお勤めが始まってしまう。・・・人に見られたら困るのだ」

「参りましょう」

 晴明は澄まして歩き始めた。片腕に薄絹の衣をかけている。

 件んの房へ着くと、覚暁は泣き出しそうな顔で、

「くれぐれも他言無用に・・・」

と、念を押し、戸を開けた。

 寝所になっている奥の間へゆくと、

「これは・・・」

 博雅は呆気にとられた。

 そこには、関白家より献上されたものと覚しき、黄金造りの香炉をはじめ、金、銀、螺鈿、珊瑚といった、高価な宝物がずらりと並んでいた。

「これは、全てお蔵より盗まれた品々ですな」

 晴明が言うと、覚暁はすがりつかんばかりになって、

「どうか信じてくれ。愚僧は盗みなどしておらぬ。・・・つい先程外から戻って参ったら、この有様・・・」

「ほう、このような刻限にお出かけに?」

 晴明が問うと、覚暁は口ごもった。

「ちと用があってな、寺の外へ・・・」

「左様で」

 晴明はあっさり頷いた。

「どうか助けてくれ。ただでさえ、お蔵の鍵を預かっている愚僧を疑いの目で見る者もおるというのに、これが寺の者に知れてしまったら、愚僧が盗人にされてしまう」

「わかりました。何とかしてみましょう」

 晴明は、宝物を全て部屋の中央に集めると、その上から手にした衣を多い被せた。

 それから、白い指を唇にあてて、二言三言呪を唱えた。

 すると、

 はらりと衣が床に落ちた。

 晴明が衣を拾い上げると、その下にあった筈の宝物が跡形もなく消えていた。

「おお」

 覚暁は思わず息を呑んだ。

「宝物はどこへ行ったのだ?」

 博雅が尋ねると、

「こちらです」

と、晴明はさっさと僧坊を出て歩き出した。

 博雅と覚暁も後を追う。

 晴明が向かったのは、西金堂であった。

 辺りはまだ薄暗かったが、朝の勤行のため、もう僧たちは起き出しているようであった。

 西金堂の方がざわざわと騒がしい。

 三人が近寄ると、若い僧が一人駆け寄ってきた。

「覚暁さま!」

「いかがしたのだ」

 覚暁が問うと、

「と、とにかくこちらへ・・・」

 促されて堂内に入ると、本尊の釈迦如来像に並んで立つ仏たちのうち、阿修羅の像の辺りに大勢の僧が集まっている。

「これは・・・!」

 ひょいと覗き込んで、博雅は目を丸くした。

 像の前に、先程晴明が消してしまった宝物がずらりと並んでいたのである。

「こ、これは一体どういうことでしょう?」

「やはり阿修羅の御像が盗みを・・・」

 僧たちが口々に言い立てるところに、重々しい声が響いた。

「何と有難きこと。・・・阿修羅が盗人より宝物を取り返して下された」

 見ると、堂々とした体躯の僧が立っていた。

 立派な袈裟を身に着け、多くの僧を従えており、位高き僧であるようだが、身の内から発せられる威厳が辺りを圧した。

「貫主さま・・・」

 僧たちは一斉に頭を下げた。

「疾く、この宝物を元通り御蔵に収め、御像に念入りに読経をさし上げるのじゃ」

「は」

 貫主は、晴明と博雅の方を向いた。

「晴明どの、こたびはご苦労であった」

「いえ」

「関白さまには、くれぐれもよろしゅうお伝え下され」

「承りました」

 晴明は、軽く頭を下げた。



「なあ、晴明」

 帰りの牛車の中で、博雅がおずおずと声をかけた。

「あの女盗は、どうやって寺から宝物を盗んだのであろう。・・・やはり方術を使うたのかな」

 晴明は、少し意外そうに博雅を見、

「方術を使うたのは西金堂より香炉を奪った時と、おまえをさらった時だけであろうよ」

「そうなのか?」

「蔵の鍵を持っておったのだからな」

「鍵を?なぜだ」

「覚暁さまに持って来させて、こっそり拝借したのさ」

「覚暁さまが何故そのようなことをなさるのだ」」

「大方、閨でねだられたのであろうよ。お寺の宝をお護りするお蔵の鍵が見てみたいとか、何とかな」

「・・・」

 晴明の言葉の意味するところを悟るまで少し時間のかかった博雅は、真っ赤になった。

「では、あの家に通うていた僧というのは・・・」

「むろん、覚暁さまよ。昨夜の客とは、あの方だったのさ」

「・・・そう言えば、今朝方も外にお出かけであったと・・・」

 博雅は複雑な顔をした。

「興福寺のような大寺の位高き僧が、そのように戒律を破っておったとは・・・」

 晴明は何も言わずに肩を竦めた。

「では、阿修羅の姿に身をやつしていたのは・・・」

「・・・昔から、あのように奇を衒うことが好きな女であったからな。己れの顔がかの像に似ておったので、悪ふざけをしたのであろう」

 博雅は、ちらと晴明の顔を見やりながら、言い難そうに切り出した。

「おまえと、あの女盗とは古くからの知り合いであったようなのだが・・・その・・・」

 そこでガタンと車が止まった。

 と、思うと、外から声がした。

「その話は、わしからした方がよかろうて、博雅どの」

 晴明が前の簾を上げると、そこに蘆屋道満が立っていた。



続く


 冒頭の場面には、実は元ネタがあります。・・・ぴんときた方は、きっと別館にもお出で頂いているお客さまですねっ。くす。



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