気がつくと、何やら薄暗いところにいた。

                   「どこだ、ここは」

                   博雅は、辺りをきょろきょろと見回した。

                   空気はひんやりとしていたが、ひどく肌寒い、というほどではない。

                   「道に迷うたか?困ったな。」

                   何しろ、辺りはぼんやりと薄暗くて、いまひとつ様子がわからない。

                   そもそも、自分がどうしてこのようなところにいるのかも、よく憶えていない。

                   博雅は途方に暮れた。

                   すると、遠くの方でぼおっと灯りがともった。

                   見ると、それはゆっくりこちらに近づいているようだ。

                   他に仕様もないので、博雅はそちらの方へ足を向けた。

                   近づいてみると、光の中に被衣をかぶった女がいた。

                   不思議なことに、女が何か灯りを手にしているわけではないのに、その周囲がぼうっと明るい。

                   博雅は、自分の目の前で立ち止まった女に、声をかけた。

                   「失礼ですが、ここは一体何処でしょうか。」

                   「わたくしにお尋ねですの?」

                   よく透る声でそう答えながら、女は被衣を上げて顔を露わにした。

                   ―他に誰がおるというのだ?

                   内心思いながらも、博雅は女の顔の美しさに息を呑んだ。

                   女はすっと博雅のそばに近寄ってきた。何とも芳しい香りが鼻をくすぐる。

                   「殿さま」

                   「は?」

                   「わたくしは、ずっと殿さまのおいでをお待ちしておりましたのよ。」

                   紅く塗られた唇が艶かしい笑みを浮かべた。爪を同じ色で染めた、白く細い指でそっと博雅の直衣の胸に触れる。

                   「このような寂しい所で、ですか?」

                   女の正体や目的を問うのが肝心であろうに、博雅は動揺の余り何とも間の抜けた問いかけをしてしまった。

                   「ええ」

                   女は、ふ、と笑って、さらに博雅の体に我が身を寄せてきた。被衣がするりと滑り落ち、見事な黒髪が露わに

                   なる。

                   「とても寂しゅうございましたわ。殿さまがわたくしを慰めて下さいますのでしょう?」

                   「はあ」

                   間の抜けた返事をしながら、博雅はぐるぐると考えを巡らせていた。

                   いかに、こういったたぐいの事柄にはとりわけ鈍いとはいえ、この女が自分を誘っているのは、さしもの博雅にも察せられた。

                   しかし、見ず知らずのゆきずりの女と、このような場所でことに及ぶというのは、余りにも博雅の流儀からはかけ離れている。

        女の身なりを見ると、やんごとない身分の方というわけではないようだが、さりとて、路傍でゆきずりの男に春をひさぐことを生業とする女のようにも見えぬ。

                   ―何かやむにやまれぬ事情がおありで、身を売ろうとしておられるのであろうか?

        まことに博雅らしい結論に達した。ならばなおのこと、女人の弱みにつけ込むようなことはできぬ。後ずさりをして女から身を離し、きっとした表情で言った。

 「どのような事情がおありか存じませぬが、見ず知らずの男にこのようなことをなさってはなりませぬ。何かお困りのことがおありなら、わたくしが相談に乗りましょうぞ。」

                   女は一瞬呆気にとられた顔になった。それから思わず笑い出した。そのように笑うと、女の顔は不思議に幼く見えた。

                   「まあ、お優しいことをおっしゃいますこと。」

                   すっとまた艶っぽい表情になり、

                   「殿さまは何か勘違いをなさっておいでのようですわ。」

                   また博雅に寄り添って、胸に手を当てた。

                   「わたくしは、ただ殿さまに寂しいこの身を慰めて頂きたいだけなのですよ。」

                   頭を少し傾け、切なげな表情で博雅を見上げた。

                   「それとも、わたくしがお嫌いですの?」

                   博雅は困り果ててしまった。

                   なぜだがはわからぬが、自分はこの女を救ってやらねばならぬという気はする。

                   しかし、だからと言って、今、この場でこの女を抱くというのは、全くの論外であった。

                   博雅は、全く進退に窮してしまった。

 

               続く


               

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