そんなことがあってから、数日が過ぎたある日。晴明は、賀茂保憲を屋敷に訪ねた。
予め式をやって来訪を伝えてあったので、保憲は自ら出迎えた。
奥の間に通され、腰を下ろした晴明に、保憲はたずねた。
「して、博雅さまの様子はどうなのだ?」
源博雅の中将が眠りの病にとりつかれ、安倍晴明が昼夜を問わず付き添っている、という話は、すでに保憲も伝え聞いていた。
「実は、そのことで」
晴明は手短にいきさつを語った。
「唐土の狐か。」
保憲は、珍しく難しい顔をした。その肩の上には、例によって猫又が丸くなっている。
「それは厄介なものに憑かれたの。」
「はい」
「それで、どうするつもりなのだ。何か手を打っておるのか?」
「それが」
晴明は、ひどく落ち着き払っているように見える。「ここ数日の間、様子を見ておるのですが、かの狐、博雅さまを内から食い尽くすと言いながら、博雅さまの身には、目を覚まさないということ以外、何の変事も見えないのです。」
「ほう」
「少しでも変事があれば、何らかの術を用いて、狐を追い立てることができるのですが」
何もせぬ、とあれば、手の打ちようがない。
「ふうむ。」
保憲は親指で顎をさすった。
「しかし、放っておくわけにもゆくまい。」
「はい」
晴明は、まっすぐ兄弟子の顔を見つめた。
「夢篭りの呪法を行ないます。」
「何!?」
保憲は、大きく目を見開いた。
「博雅さまの心に入り込もうというのか!?」
晴明がうなずいた。
「わたくし自ら、博雅の中にいる狐を追い立てに参ろうかと思います。」
「晴明」
保憲は真剣な顔で言った。 「もちろん、おまえも重々承知の上でのことであろうとは思うが、夢篭りの呪法は危険な技ぞ。人の心の奥底を覗くというのは、恐ろしいことだ。恐ろしさの余り、狂い死ぬやもしれぬ。狐がすぐにでも捕らえられればよいが、そうでなければ」
保憲はいったん口を切った。
「博雅さまの鬼を見ることになるやもしれぬぞ。」
晴明はうっすらと微笑した。
「保憲さま」
「ん?」
「博雅は、いつぞやわたくしにこう申しました。たとえ、晴明が妖物であったとしても、この博雅はおまえの味方ぞ、と」
「・・・。」
「わたくしもまた、別の折に博雅にこう申しました。たとえ、おまえが鬼と化したとしても、おれは最後までおまえの味方だ、と」
晴明の笑みは、はっとするほど透明であった。
「ただ、ほんとうに狂い死にしてしまうと困りますので、その折には保憲さまに呼び返していただきたい、と思い、こうしてお願いにあがったのです。」
保憲は、感慨深げに弟弟子を眺めた。
「おまえに、そこまで想う方が現れようとはな。」
それから、いつもの飄々とした様子に戻って、うなずいた。
「わかった。微力ながら、この保憲も手を貸そうぞ。」
「かたじけのうございます。」
晴明は、両手をつき、深く頭を下げた。
ここに出てくる保憲さまは、原作バージョンです。言うまでもないか(^^;)猫又いるし。
個人的に原作の保憲さまのイメージは、若い頃の中条きよし。三味線屋の勇次、てか?