そんなことがあってから、数日が何ごともなくすぎた。

                   夕暮れ時になって、博雅が訪ねてきた。

                   いつものように、簀子で共に杯を傾ける。

                   例によって、博雅は頼まれごとを携えてきていた。

                   「実はな、晴明。」

                   「うむ。」

                   「橘俊光殿が、二日前の夜、五条堀川の辻で妖しにあったらしいのだ。」

                   「らしい、というのは?」

                   「それが、よくわからぬのだよ。」

                   博雅は、からになった杯を置き、手酌で酒を注いだ。

                   「おれにこの話を持ってきたのは、俊光どのの義理の兄の、藤原良方殿なのだが、俊光殿は、明け方近くに

                  屋敷に戻ったかと思ったら、そのまま高熱を出して寝込んでしまい、うわごとで件の辻の名を繰り返しておるそ

                  うだ。」

                   「それで?」

                   「ついておった従者によると、あの辺りを車で通った時、影のようなものが車をつき抜けていったように見えた

                  そうだ。」

                   「ふうん。」

                   「良方殿は、お前にその辻に行って、見てきてほしいという考えなのだ。」

                   「なるほど。」

                   「行ってくれるか?」

                   晴明はすぐには答えなかった。

                   「行けぬのか?」

                   博雅は、心配そうに晴明を見た。

                   「いや、行けぬというわけではないのだが。」

                   五条堀川、という場所が、何か引っかかる。

                   「余りよくない予感がするのだ。」

                   「よくない予感?」

                   たわいのないことのように思えるが。

                   「やはり、気が進まぬか?」

                   博雅は困ったような顔になる。

                   「気が進まぬのなら、無理にとは言わぬが。」

                   ―そのような顔をすると、行かぬとは言えぬではないか。

                   晴明は内心苦笑しながら、

                   「まあ、よい。行ってみるだけは、行ってみようよ。」

                   「そうか、行ってくれるか。」

                   博雅の表情が、安堵でゆるんだ。

                   「では、早速ゆくか。」

                   「今からか。」

                   「そうだ。お前もゆくか。」

                   「ゆ、ゆく。」

                   「ゆこう。」

                   「ゆこう。」

                   そういうことになった。

 

               続く


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