THE MUSGRAVE RITUAL 第16話 マスグレーブ家の儀式書

 監督: デヴィッド・カースン director...David Carson

 脚色: ジェレミー・ポール dramatized...Jeremy Paul

 ゲスト: マイケル・カルバー(レジナルド・マスグレーブ) Michael Culver as Reginald Musgrave

      ジェームズ・ヘイゼルダイン(リチャード・ブラントン) James Hazeldine as Richard Brunton

 ホームズの学友マスグレーブに招かれ、古いハールストン館で休暇を過ごすことになったホームズとワトスン。しかし、そこで執事とメイドの奇妙な失踪事件に遭遇する。失踪直前に執事が盗み見ていたという、マスグレーブ家に代々伝わる儀式書に秘められた謎とは?執事とメイドが辿った運命は?

 周知の通り、正典では、ホームズがまだ駆け出しの頃に担当した事件を、ワトスンに語って聞かせる、という形になっています。グラナダ版での変更は、20代のホームズをブレットがやるには無理があり過ぎる、ということもあったでしょうが、それより、ホームズが単独で事件にあたるのではなく、ワトスンも行動を共にさせたい、いう意図の方が大きかったと思います。ワトスンが登場しないエピソードはドラマ化されていないことや、のちに、ハードウィックが出演できなかった「金縁の鼻眼鏡」にわざわざマイクロフトをワトスンの代理として引っ張り出しているところから見ても、ワトスンの役割がホームズにとってはなくてはならないものだ、という認識がスタッフの間では強いのではないかと思われます。それに、既に起きた事件を後から語るよりも、主人公たちの目の前で事件が展開する形の方が、映像としては臨場感が出ますしね。

 そんなわけでドラマ化はされなかった正典の冒頭、ワトスンがいかにホームズが一緒に住みにくい同居人であるか、延々と愚痴っている部分が微笑ましくて好きです。ワトスンに書類を片付けるように言われて、ホームズが悲しそうな顔をして、昔の記録の入ったブリキ箱を引っ張り出してくるところなんかもちょっと可愛いし。(笑)

 まあ、その代わり、グラナダ版の序盤、馬車の上での二人のやりとりもよかったです。「君がいつも部屋を片付けろと脅すからだ」とか、正典よりちょっと駄々っ子なホームズ。(笑)最初は「仕方ないなあ」と「お父さん」顔(爆)だったのに、ホームズが昔の記録のことに言及した途端、興味しんしんになって「見たい」とおねだりモードに入ってしまうワトスンも可愛いです。なのに、ホームズは意地悪して箱の上に足を載っけてしまうんですよね。子供。(ただ、最後に屋敷を後にする馬車の中でブリキの箱はワトスンの足元にあったような気がしたので、結局見せてあげたのかな?)あ、ちなみにこの場面はNHK版ではざっくりカットです。

 他にNHK版でカットされた場面としては、冒頭、ブラントンが馬小屋の二階で森番の娘といちゃいちゃしているところをレイチェルが目撃してしまうところ、二階に上がったレイチェルが怒った顔をして降りてくるところしか流れなかったので、二人がどんなスゴイことをしてたのかしら、と妄想が膨らんじゃったんですが(爆)。実際には「スゴイ」ところまでは行ってなかったんですね。ジャネットの素足が問題だったのかしら。

 それから、正典にもない場面で、ワトスンがホームズの部屋をのぞいて、使用済みのコカインの注射器を見つけてしまう場面は当然カット。放映を見た時、その後の場面で、何でホームズがあんなにハイなのかと違和感を覚えた記憶がありますが、なるほど、薬をやった後だからなんですね。うーん。その流れで、ワトスンがマスグレーブとの会話のあいまに非難がましくホームズを見る部分もなくなってます。おかげで、マスグレーブが弟のブーツを先祖のだ、とか言っちゃって、ブラントンに指摘される場面もカットされたので、その後、何となくマスグレーブが不機嫌な理由が、放映を見た時はピンと来ませんでした。

 グラナダ版自体のアレンジとしては、やはり儀式書の内容を変更したことでしょう。方角や距離が全く違うのはロケ地の都合と思われますが、「何月なりしや/始めより六番目の月なり」(創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』p.148)という部分を除いてしまったのは何故なんでしょう?季節によって太陽の位置や影の長さは変わっちゃうから、月を示す言葉がないとまずいのでは?

 あと、前に一度ハールストンを訪れているはずのホームズとマスグレーブの会話が、ホームズがマスグレーブが未婚なのを知らなかったなど、久しぶりに会う者同士の会話のようだったのが、ちょっと不自然でした。「この前」っていうのはずい分と前だったんでしょうかね?

 儀式書の樫が、実際の樫の木ではなく、風見鶏の装飾だった、というのは、儀式書の謎をちょっとひねった形にしてよかったです。いくら、マスグレーブ家の当主がレジナルドくんのように代々天然ボケ揃いだったとしても(笑)、儀式書そのままの内容では、誰かは宝にたどり着けたのではないかと思われますので。

 しかし、何と言っても、今回の最大の見所は、典雅なチェンバロの音色に乗って、三人のおじさまたちの宝探しがテンポよく展開される場面。ジェレミーの歩くステップは実に流麗。歩く姿そのものがまさに音楽。その後を真剣に歩数を数えながらついていくマスグレーブ、儀式書の詩句を読み上げながらしんがりをゆくワトスン、という一連の動きもリズミカルで、堀をボートで渡る場面をクライマックスとして、実に心地よいシークエンスとなっていました。この部分だけで、個人的には、このエピソードがグラナダ版一押しになっています。NHK版もここは全くいじってないのでよかった。

 その後、地下室で執事の死の謎を推理するホームズに、マスグレーブは遠慮なく話しかけてしまうのに、ワトスンははっと気づいて声をかけるのをやめる、という演出は、さすがグラナダ版ですね。それから、ホームズの方法について解説するワトスンを、マスグレーブがしげしげと眺めるのがおかしかったです。改めてただの友人じゃないんだなって見直したって感じで。(笑)

 今回、このエピソードの魅力を更に引き出したのは、やはりマスグレーブ役のマイケル・カルバーではないでしょうか。正典で言われるところの高慢なところは余りなかったですが、おっとりしたお殿さまぶりが物語の雰囲気にあっていて、とてもよかったです。突然の解雇通告も、正典では家督を継いだばかりの若殿が古参の執事に対して突っ張って見せた、と解釈できましょうが、すでにそこそこいい年齢にいっているグラナダ版では、切れ者の執事に頭が上がらなかった坊ちゃん育ちな殿が、ついに堪忍袋の緒を切ったという感じでした。堀を渡る時ボートの漕ぎ役になってしまうなど、ホームズにも思い切り振り回されていて、ブラントンがいなくなってから、うまく切り盛りしていけるのかしら、とつい心配になってしまいました。(笑)吹き替えの内田稔氏も、原語版はどちらかというとせかせかした口調だったのを、のんびりした調子で演じてらして、いい雰囲気を作ってました。

 ドラマにはなかったのですが、正典でホームズが「男というものは、女にどんなひどいことをしても、女から愛想をつかされることはないと、いい気になっているものだ。」(前掲p.158)と皮肉っぽくコメントしているのが印象に残ってます。ホームズがただの「女嫌い」ではないことがよくわかる言葉ではないでしょうか。「花婿失踪事件」でもわかりますが、女性の真心に付け込むような男には、女性全般に対して以上に軽蔑の念を抱くのです。確かに、ドラマで見ていても、レイチェルを口説いているブラントンは「こんなサイテーな男、死んで当然」って感じでした。(爆)

 レイチェルの行方について、足跡が池のふちで消えているのに、正典では「外国に逃げた」とホームズが判断しているのは不思議です。一応、グラナダ版でもホームズは正典の見解を引き継いでいますが、あれだけ錯乱した女性が寝巻き姿のままで逃亡しおおせるというのは、どう考えても不自然ですよね。結局後で死体が上がった、というドラマの幕切れの方が自然でしょう。

 恋敵の目の前に突然浮かび上がる女の溺死体、という絵はかなりショッキングでしたが、NHK版では流れなかったラストシーン、水面に上半身だけ見せて浮かんでいるレイチェルの横顔のロングショットは、ミレイの「オフィーリア」を連想させるような、なかなか幻想的な絵になっていて、印象に残るエンディングでした。

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