THE DANCING MEN 第2話 踊る人形

 監督: ジョン・ブルース director...John Bruce

 脚色: アンソニー・スキン dramatized...Anthony Skin

 ゲスト: テニエル・エヴァンズ(ヒルトン・キュービット) Tenniel Evans as Hilton Cubitt

       ベッツィ・ブラントレー(エルシー・キュービット) Betsy Brantley as Elsie Cubitt

 ノーフォーク地方の名士キュービット氏の美しい妻を脅かす謎のメッセージ、“踊る人形”。恐怖の理由を明かそうとしない妻を気遣うキュービット氏の依頼を受けたホームズは、一見子どもの落書きのようにも見える、その暗号を見事解読し、恐るべき脅迫者の正体を明らかにする。しかし、時すでに遅く、悲劇は起こってしまっていた・・・。

 NHK版の冒頭は、いきなりエルシーが踊る人形の落書きに怯えて走り出すところから始まっており、何のこっちゃいって感じでしたが、もちろん、オリジナルでは、その前にキュービット夫妻が仲睦まじく庭仕事をする場面があります。をいをい。

 この導入部分はグラナダ版のオリジナルですが、それに続く、原作の冒頭に当たる、有名な「君は、南アフリカの株に投資しないんだね云々」の場面は原作通り。ワトスンの小切手帳がホームズの引き出しに入っていて、鍵も渡されてないっていうのは、何とも面妖な話です。これを以って「ワトスンはひどい浪費癖があって、それで金の出入りはホームズが管理しているのだ。」という説が結構有力になっているのが切ない。イングランド中産階級の典型と言われるワトスンが、お金のことにだらしない、というのは納得いきかねます。「浪費癖」のもうひとつの根拠になっている、「ショスコム荘」での「傷病年金の半分を競馬につぎ込んでいる」という発言も、少々大げさな言い回しに過ぎないという印象を受けるのですが。(大体、ワトスンの収入は年金だけではなかろうに)何か事情があって、ホームズに一時的に預かってもらっていただけなのでは?例えば、ワトスンの引き出しの鍵が壊れたとかね。共同生活をしていると、ままあることではないでしょうか。逆に、むしろそれだけ二人の信頼関係が深い、ということを示唆する挿話でないかと思えます。

 それはさておき、原作が骨格のしっかりしたエピソードなので、さほど大きな変更点はないようです。キュービット夫妻の結婚歴が原作では1年なのに、ドラマでは3年になっているのは、「1年じゃ短過ぎて二人が可哀想」と思ったからか?とか、「日時計の上に置かれた紙切れに書かれた暗号」がみんなカットされているのは、リドリング・ソープ荘のロケに使われたレイトン・ホールとタットン・ホールに日時計が無かったからか?とか、くらい。

 ただ、ドラマ全体から受ける印象として、DVDのブックレットでも強く指摘されている点なのですが、ホームズが、依頼人のキュービット氏に必要以上に冷たく接している点が、かなり原作のイメージとは食い違うところです。原作では、普通に思いやりのある言葉をかけていますよね。それなのに、ワトスンがたまりかねて「もっと優しく接してやったらどうだい」と非難する件りを挿入してまで、ホームズの態度の冷たさを強調しようとしているのです。

 その理由について考えてみると、グラナダ版がワトスンに、原作にない役割を与えていることを、明確に示す狙いがあってのことではないかと思います。単に記録者としての役割だけでなく、「依頼人の話を聞くホームズ」に対する「依頼人に話をさせるワトスン」という位置付けです。このエピソードに限らず、グラナダ版のホームズは、依頼人に対してかなり「失礼」です。(笑)ちゃんと聞いているのかいないのかよくわからない顔をしてるし、聞きながら足を組んだり、その辺をうろうろしたりするし、話の途中で居間を出て、手を洗いに行っちゃったりするし。それをフォローするのがワトスンで、熱心に相槌を打ったり、「ひどいヤツだ」と憤慨したり、「わかりますよ」といたわりの言葉をかけたりして、親身になって話を聞いてあげるのです。で、依頼人によっては、しまいにはワトスンの方を見て話をしてしまうくらい。(笑)

 しかし、原作では、一貫して、ホームズは依頼人に対して愛想よく接し、安心して話が出来る雰囲気を作るよう努めているように描かれています。この変更は、グラナダ版がきちんとワトスンの人となりをきちんと描きたいという意図によるものではないかと思います。やはり、世間の人々は、偉大なる名探偵であるホームズにはそれなりの敬意を以って接しますが、ワトスンに対しては、やや軽んずるような態度をとってしまいがちだと思うのですよね。そこで、ワトスンの思いやり深い人柄に接して、ホームズの才能に劣らない敬意を抱くようになる、事件解決の際、依頼人は解決してくれたホームズだけではなく、ワトスンに対しても、自然と同じように心からの感謝の言葉を述べることになるわけです。

 当然ながら、原作では全てワトスンの視点から叙述されているため、ワトスン自身の位置が見えづらく、だから従来の映像化では、安易に三枚目的な役割を振ってしまいがちなところを、グラナダ版では、「記録者」に加えて「接客担当」(爆)という重要な役割をワトスンに振ることによって、この問題を解決したわけですね。まあ、「愛想のいいホームズ」っていうのも、何かヘンなので、うまい方法だったな、と思います。

 このエピソードでは、そのようなワトスンの位置付けを、かなり極端な形で描くことによって、その方向性を示したかったのではないでしょうか。素っ気無い態度のホームズに対して、ワトスンはあくまでキュービット氏に暖かく接します。ベーカー街を2度目に訪問した時、キュービット氏は、ワトスンにしか別れの挨拶をしませんでしたよね。(笑)

 ただ、事態が容易ならざる状況に陥ったことに気づき、さらには依頼人の悲劇を未然に防げなかったことを知ったホームズは、結構深く反省したようです。「悲劇を未然に防ぎたかった」と関係者に言うのは、原作ではホームズ自身ですが、ドラマではワトスンで、その際、非難がましくホームズを見やるのです。その視線には、むしろ生前の被害者に冷たかったホームズの態度への批判が込められているように見えます。ホームズもそれに対して言葉もない、という表情になります。で、その後は、キュービット家の家政婦、キング夫人に「奥様は無実ですよ。」と声をかけてあげたり、それなりに気配りをし始めたりして。

 あと、原作にない場面で気に入ったのが、ホームズがキュービット家の使用人を台所で尋問する場面で、年配のキング夫人が、ショックを受けてしまっている様子に、ワトスンがホームズに耳打ちして、腰を掛けさせてあげたところ。NHK版ではカットされてしまってましたが、(怒)ワトスンの優しさを示すちょっといいシーンでした。この時、ワトスンが座っているホームズの後ろに立って、背もたれに手をかけている図もえがったなあ。ふふ。 

 ヒルトン・キュービット役のテニエル・エヴァンズは、原作の叙述通りの容貌で、誠実さがよく表れていました。ワトスンが、窓から彼が来るのを見つけて、その容貌をホームズに聞かせて、びっくりさせる、という原作にないシーンがお茶目。グラナダ版では、これ以外にも、ワトスンがホームズに一矢報いる場面を結構作ってます。それから、キュービット家の若いメイド、ソーンダースが、美少女といってもいいような幼さの残る顔立ちで、非常に気丈に振舞っているのが、印象的でした。

 ファンの間では、人気の高いエピソードのようなのですが、個人的には、ヒルトン・キュービットのような立派な男性の死を防げなかったという後味の悪さで、余り好きな話ではないです。エルシー・キュービットは、夫を信頼して全てを打ち明けるべきだったのではないかとどうしても思ってしまいますね。もしかしたら、夫の名声やキュービット家の名誉を気にした、というよりは、夫に告げることによって、結果的に仲間を警察に売り渡すことにやはりどうしても抵抗があったからなのかも。その育ちの故にね。

 

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