A SCANDAL IN BOHEMIA 第1話 ボヘミアの醜聞

 監督: ポール・アネット director...Paul Annett

 脚色: アレクサンダー・バロン dramatized...Alexander Baron

 ゲスト: ゲイル・ハニカット(アイリーン・アドラー) Gayle Hunnicutt as Irene Adler

       ウルフ・カーラー(ボヘミア王) Wolf Kahler as King of Bohemia

 ベーカー街のホームズを、覆面の貴族が訪問した。ホームズは、彼をボヘミア国王その人であることを看破、王は、かつて交際し、結婚の約束までした女性から、二人で撮った写真を奪い返して欲しいという。その女性、アイリーン・アドラーは、間近に迫った王の婚約を阻むため、その写真を利用するというのだ。王の追及を交わし続けるアイリーンから、ホームズはいかなる策で写真を奪うのか。 『ストランド』誌に掲載された短編第1作であり、グラナダTVシリーズ第1話でもあり、また、「あの女(ひと)」が登場する、記念碑的作品。

 初めて完全版を見て、とにかくびっくりしたのが、NHK放映版は、いかにカットが多かったかということでした。なるべく全体のストーリーに影響が出ないよう、実に注意深くごく細かいカットをしているものの、やはり話の辻褄が合わなくなっている部分もあり、そもそも、放映時間の都合のために、ここまでオリジナルの作品を切り刻んでしまうとは。現行放映中の海外ドラマは、ノーカットで放映されているのでしょうか?かつて、フジテレビの深夜帯で放映された『新スタートレック』も、若干のカットがありましたが、CSで放映されている完全版を見る限りでは、その部分は、本当にごく僅かです。当時のNHKの見識を疑わざるを得ない、と言えましょう。

 このエピソードは、原作では『四人の署名』でメアリ・モースタンと結婚したワトスンが、久しぶりにベーカー街のホームズを訪ねるシーンで始まっていますが、再三指摘しているように、グラナダ版ではワトスンは独身を通すので、この冒頭部分に、まず変更が加えられています。

 雨のしとしと降る陰鬱な日暮れ時、薄暗くなったベーカー街に、田舎で休暇を過ごしていたワトスンが帰って来るところから、ドラマは始まります。「一人にしておくと心配なホームズ」というモノローグと共に、不安げに開けっぱなしの窓を見上げるワトスン。で、案の定、コカインをやっていたらしいホームズを、ワトスンがガミガミ叱りつけ、ホームズがぶつくさと言い返す、この二人のやりとりは、原作の『四人の署名』からの転用ですが、説教しながら、ワトスンが置きっぱなしになっていたホームズのティー・カップを動かしたり、散らかった書類をかき集めたりしているのが、何とも微笑ましい。(笑)ここまでの一連の場面は、グラナダ版における二人の関係の描かれ方を端的に示していて、NHK版ではそっくり削られてしまっているのは本当に残念。ただ、NHK版は、他のエピソードでも、ホームズのコカイン使用に関する場面はカットしているので、公序良俗上好ましくない、という誠に公共放送らしい判断が働いたのでしょう。(この後、ボヘミア王の訪問に備えて、ホームズが大急ぎで散らかった部屋を片付ける件りは、彼が倦怠から活動へと切り替わったことを示しているのですが、この場面もNHK版ではカット。)

 しかし、概ね、ドラマ化第1弾ということもあって、いかに原作を忠実に映像化するか、という作り手の意気込みが伝わってくるようでした。その他の変更部分としては、原作では、ホームズが仕掛けた通行人の喧嘩騒ぎに巻き込まれたアイリーンは、助け出されると、一旦家の方に逃れますが、ドラマでは、終始毅然とした態度で対応し、倒れたホームズのニセ牧師にも自ら進んで家に運ぶように指示しており、アイリーンのキャラクターを考えれば、当然の変更と言えるでしょう。

 また、火事騒ぎの後、原作では、アイリーンは黙ってその場から姿を消したことになっていますが、ドラマではここでホームズとの間に何とも意味深な会話が交わされます。「世の中には、復讐そのものに喜びを覚える人間もおりますからな。」「そんなこと、信じられないわ。」「奥様には御無理でしょう。」

 ただ、牧師に化けたホームズがアイリーン邸を辞去する時、アイリーンがこれを見送った、ということになると、ちょっと困った問題が起きてしまいます。原作では、火事騒ぎでホームズの意図を悟ったアイリーンが自室で男物の服に着替えている間に、ホームズが家を出たことになっており、ちょうど着替え終ったアイリーンが、そのまま後を付けていったわけですが、ドラマの通りだと、アイリーンはホームズを見送った後、瞬時にドレス姿から男装姿に身を変え(魔法少女かや)、ベーカー街までつけてゆき、家に入ろうとするホームズに声をかけたことになり、少々無理があるのではないかと思います。それとも、馬車の中で着替えたのかしら?でも、あのドレスを狭い中で脱ぎ着するのは大変そう。

 新たに付け加えられた場面としては、ボヘミア王の、アイリーンとの回想シーン。目隠しさせた楽団の演奏で二人が踊るシーンや男装したアイリーンが王と共にクラブでカンカンを見る場面など、世紀末ヨーロッパ大陸の退廃を漂わせ、どちらかと言うと堅苦しいヴィクトリア時代のイギリスとは、また違った雰囲気で、面白かったですね。

 さて、何と言っても、このエピソードは、ホームズにとっての「ただ一人の女性」、アイリーン・アドラーが登場することで有名ですね。ちなみにIreneは、日本では「アイリーン」と表記するのが通例になっていますが、原語の発音を聞いてみると、「エレイナ」もしくは「エイリーナ」という音に近いようです。NHK版が「エレーナ」という音を採用したのは、原語の発音を重んじてのことでしょう。「アイリーン」というのは、いささか米語っぽい響きがしますね。

 で、そのアイリーン(エレーナ)について、コラムでも軽く触れたように、グラナダ版では、ホームズが彼女に恋愛感情に近い気持ちを持っていたと解釈しているようです。

 まず、ホームズが初めてアイリーンの姿を目にした時、その美しさに明らかに心を動かされた表情になります。その際のコメント、「男が命を投げ出すような美しさ」とは、原作にもありますが、いかにもホームズの平素の態度とはそぐわない感じがし、聞いていたワトスンが「君らしくない」と原作にはない突っ込み(NHK版ではカット)をして、その点を強調させています。

 先述したように、原作を変更して、アイリーンがニセ牧師のホームズが去るのを見送っているのも、二人の別れの場面を印象的なものにしたかったのでしょう。

 そして最後のシーン、ホームズは、アイリーンの写真を何とも言えない表情で眺め、引き出しにしまい、鍵をかけるのですが、原作には「鍵のかかる引き出しにしまった」といった記述はありません。

 アイリーンの写真をしまうと、ホームズはひとしきりヴァイオリンを奏でてから、暖炉の傍に腰を下ろし、物思いに耽り、ドラマは深い印象を残して終わります。ホームズが、彼が軽蔑する少々ロマンティックな想いを、ほんの少し心の奥底に生じさせていたとして見ると、何とも味わい深いエンディングではないでしょうか。

 

INDEX  放映リストへ