『陰陽師 付喪神ノ巻』



「おれはな、晴明、おまえがいるから、この世はそんなに悪いものではないと、そんなふうに思っているのだ」
「―」
「おまえが、どんなに世間に対して冷たくふるまってもだ、おまえのことがおれには時々わからなくなること
があるとしてもだ、おれは、おまえの、本当に本当のところはわかっているよ」
「何がだ」
「おまえが、本当は、自分のことを独りだと思っていることがだよ。正直に言えよ晴明。おまえ、本当は、淋し
いのだろう。この世に、自分しかいないと思っているのだろう。おれは、おまえのことが、時々、痛々しく見え
る時があるのだよ」
「そんなことはないさ」
「本当か」
「おまえがいるではないか、博雅」
 ぽつりと晴明が言った。
 博雅は、とっさのことに、次の言葉が口にできずに、
「ばか」
 そう言って、怒ったような顔をして歩き出した。

― 「打臥の巫女」(文春文庫p.297〜298)

「おれは、おまえが女のところにゆくなどというから、なるほど、おまえにも人なみなところがあったのか、安倍晴
明も女のもとへ通うというようなことがあるのだなあと思っていたのだ」
「そうでなくて残念だったか」
「いや、残念ということではない」
「では、そうでなくてよかったということか―」
「そういうことをおれに訊くな」
 博雅は、怒ったように唇を閉じ、眼をそらせた。
 晴明は、小さく含み笑いをしてから、(略)

― 「這う鬼」(文春文庫p.106)



 上の方は、『陰陽師』シリーズ全ジャンル中、一番のお気に入りシーン。自らの胸の内を率直に語る博雅と、さりげない一言
に万感の想いを込める晴明。二人の個性と絆の深さがくっきりと表されていて、読むたびにじんとしてしまいます。

 後の方は、いい加減にしろ、この馬鹿ップル、てなもんで。(汗)晴明も先に「仕事だ」って言えよ。やっぱわざと「女のところ」
って言って、博雅の反応を見たんか?「女だと」って博雅のリアクションもどうよ。

 個人的に、短編集の中では一番気に入っています。「鉄輪」をはじめ、シリーズを代表するような作品が多く入っていて、粒
ぞろいという印象が強いですね。

 二人の親密さを示す場面は枚挙の暇がないし、博雅の可憐さが一気にグレートアップしちゃってるし。晴明が青虫から蝶に
変えるのを口を開けて見てるとか、蛭に憑かれた女房が現れた時、簾に顔を押しつけて見てるとか、いちいち可愛らしゅうご
ざいます。



瓜仙人

<出典> 『今昔物語集』巻27−31「三善清行の宰相、家渡りせる語」
                     32「民部の大夫頼清の家の女の子の語」
                     33「西京の人、応天門の上に光る物を見たる語」
                巻28−40「外術を以て瓜を盗み食はれたる語」
 大和から都へ帰る途中で博雅が出会った、不思議な術を用いる老人は、晴明とは旧知であった。老人の伝言を聞いた晴明は、
五条堀川にある化け物屋敷へと向かう。

鉄輪
<出典> 謡曲「鉄輪」
 夜ごとに貴船神社へ丑の刻参りに通う女。社人が夢のお告げと称して「汝が願い聞き届けたり」と告げた時、女は鬼へと変容
して憎い男に襲いかかろうとしていた。

這う鬼
<出典> 『今昔物語集』巻27−21「美濃の国の紀遠助、女の霊に値いて遂に死したる語」
 旅帰りの男が、鴨川の橋のたもとで妖しい女から託された箱の恐るべき中身。晴明は呪詛を受けた女を救うことが出来るのか。

迷神
<出典> 『今昔物語集』巻27−25「女、死せる夫の来たりしを見る語」
 愛する夫に死に別れた妻は、我が夫ともう一度、ひと目会いたいと願ったが。

ものや思ふと・・・
 姿なき鬼と、歌人壬生忠岑父子との交流。「天徳の歌合」の意外な舞台裏。


 短編の中では一番お気に入りのお話です。満開の山桜の中で鬼が歌を詠ずる場面の美しさと言ったら、光に満ち溢れたその情景
が目に浮かんで、その思わず息を呑むほどです。目に見えぬ鬼と壬生父子との交流も、何ともしみじみとした哀感があって、ふんわ
りとした後味の残る素敵な作品だと思います。

 ちなみに、ずーっと以前NHKでやっていた「再現日本史」(「その時歴史が動いた」の前前番組くらい)という歴史番組で、天徳の歌
合の再現をやっていたのですね。(陰陽師がブームになるより随分前)そこで読み間違えをしてしまった講師の誰かさんも出てて、この
話を最初に読んだ時、「ああ、あのおっさん、博雅だったんだー」と・・・。

打臥の巫女
<出典> 『今昔物語集』巻31−26「打臥の御子巫の語」
 打ち臥して未来を予言する「打臥の巫女」が藤原兼家に告げた瓜の予言。果たして、まもなく兼家の屋敷に瓜が齎される。果たし
てこの瓜は吉か凶か。

血吸い女房
 夜な夜な屋敷の女房たちが血を吸われるという怪事件。果たして吸血鬼の正体は。



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