『陰陽師 龍笛ノ巻』



「晴明よ、おれも、おまえも散る桜だ」
「―」
「しかし、散る桜であればこそ、この世を愛しいと思えるのではないか。やがて、死ぬるのがわかっているからこそ、
人は、人を愛しく思い、笛や琵琶の楽の音にしみじみとするものなのではないか」
 博雅は、桜襲の女が満たしてくれた杯を手に取り、
「なあ、晴明よ」
 真っ直な眼で晴明を見た。
「おれは、おまえとこうして知り合うことができて、本当によかったと思っているのだよ」
 杯の酒を、博雅はひといきに飲み干した。
 博雅の頬が、微かに赤く染まっている。
 博雅の視線から眼をそらせ、
「蜜夜・・・・・」
 晴明は、桜襲の女に声をかけた。
「博雅の杯が空だ」
 蜜夜と呼ばれた桜襲の女は眼でうなずき、博雅の杯を、また、酒で満たした。
「逃げたな、晴明」
 博雅は言った。
「逃げた?」
「おまえが問うから、おれは話をしたのだぞ。なのにおまえは今話をそらそうとしたのではないか」
「別に、逃げたわけではない」
 晴明は、苦笑した。
「ほら、それだ」
「何のことだ」
「今、笑った」
「笑ったのが逃げることか」
「違うのか」
「また、そういう眼でおれを見る」
「眼?」
「博雅よ。そういう真っ直な眼で人を見るものではない」
「見ると、困るのか」
「困る」
 晴明は正直に言った。
「白状したな」
「した」
「いつになく素直ではないか、晴明」
「おまえにはかなわぬ」
「何がかなわぬのだ」

― 「呼ぶ声の」(文春文庫p.178〜p.180)



 ・・・何だか引用しているうちに恥ずかしくなってきた。もう一生やってなさい、この馬鹿ップルめ。晴明ってば、博雅に真っ直な
眼で見られて、一体何をどうしてどのように困るって言うの〜。(聞くだけ野暮)博雅の「おれも、おまえも散る桜だ」というのは
好き。美しい表現ですよね。

 やや小休止気味だった『鳳凰ノ巻』に対して、道満爺ィ大活躍、虫姫露子さま初登場、そして何と言っても、満を持しての保憲
兄ご登場、と、なかなか華やかな一冊。どのお話も読み応えがあって、よかったです。



怪蛇
 二人の公達の屋敷で起こった、蛇と奇妙な老人に纏わる怪異。

 一人の女を巡る二人の男の恋の鞘当てから来る戯事が、恐ろしい怪異を引き起こしてしまう。

 冒頭、鮎を上手に食べられて、大得意っな博雅が、無性に愛らしいのです。でも、犬の肉を貪り喰う首たちを見て、「哀れ」と思え
ちゃう博雅の精神的な骨太さというのも相当なもんだ・・・。

むしめづる姫
<出典> 『堤中納言物語』
 常の女のように身を飾ることをせず、虫を愛でる変わり者の姫、露子。彼女の元に、ある日奇妙な毛虫が持ち込まれる・・・。

 孵化した黒丸のビジュアルって、SFチックですね。松本零士御大とか故石ノ森章太郎氏の作品に出てきそうな感じ。

呼ぶ声の
 船岡山の桜の下で琵琶を奏でた藤原伊成が、眠りの病に取り憑かれた。彼の身に一体何が起きたのか。

飛仙
 仙丹を作ろうとして失敗し、仙人になり損なった老人の、可笑しくも、どこか哀しい物語。



「陰陽世界」トップへ  目次へ