『陰陽師 生成り姫』



 晴明は、困ったような、哀しいような、何ともいえぬ微笑を眼と口に残したまま、
「博雅よ、おまえは正直すぎるのだ」
 そう言った。
「正直?おれがか」
「そうだ。正直すぎるおまえに、おれはいつも驚かされて、答える言葉を失くしてしまうことがある」
「今がそうだというのか」
「まあ、そういうことだ」
「晴明よ、おまえ、その言い方は少し冷たくはないか」
「冷たいか、おれは・・・・・」
「そうだ」
「そんなことはない。おれはおまえでよかったと思っている」
「おれで?」
「酒の相手がさ」
「酒の?」
「おまえがここにいるから、おれはこうして人の世に繋ぎとめられているのだよ」
「人の世に?」
「そうだ」
「晴明よ、それは、なんだかおまえが人でないような言い方ではないか」
「そう聴こえたか」
「ああ」
 博雅は、濡れ縁に置いてあった杯をまた手にとって、それを飲み干した。
 空になった杯を床に置き、
「よいか晴明」
 博雅は言った。
「いつかも言ったことがあるが、たとえおまえが人でないものであったとしてもだ、この博雅はおまえの味方だぞ」
「おれが妖物であってもか?」
 からかうような口調で晴明は言った。
「おれは、こういうことについては、うまく説明できぬのだよ。どうもうまい言葉が見つからぬのだが・・・・・」
 博雅は、何か自分の心の中にある言葉を、ひとつずつ捜しながらしゃべるように言った。
「晴明は、晴明ではないか」
「―」
「もしもおまえが妖物であったとしても、人でない何かであったとしても、おまえはおまえではないか―」
 博雅は、真面目な口調で言った。
「晴明よ、おれもおまえでよかったと思っているのだよ」
 博雅は晴明を見つめている。
 空になった杯に酒を満たそうともしない。
「おれはなあ、晴明よ。自分でもわかっているのだが、どうも、おれは、他人とは少し違うようなのだ」
「どう違う?」
「それがうまく言えぬのだよ。うまくいえぬのだが、おれは、おまえといる時は、隠さなくてもすむのだ」
「何をだ?」
「自分をさ。おれは、宮中にいる時は、いつも、何か鎧のようなものを着て、自分を隠しているような気がするのだよ・・・・・」
「ふうん」
「おまえとこうして向かいあって酒を飲んでいる時の博雅は博雅だ」
 博雅は言った。
「おまえが人であったら一緒に酒を飲むが、人でない妖物であったら酒を飲まぬということではない。おまえが晴明であるから、
おれは一緒に酒を飲んでいるのだと、そういうことなのだよ。考えてみるならばな」
「よい漢だな、博雅は―」
 晴明は、ぽつりと言った。
「おれをからかうなよ、晴明―」
「からかってはおらん。ほめているのだ」
「ふうん・・・・・」
 存外に真面目な顔をして、博雅はうなずいた。

(文春文庫p.91〜p.95)

「よいか、晴明。もしもだぞ、ある日、もしもこのおれが鬼になってしまったらどうする―」
「安心しろ、博雅。おまえは鬼になぞならぬ―」
「しかし誰の心にも鬼が棲んでいるのなら、おれの心の中にも鬼が棲んでいるのだと言ったではないか」
「言った」
「それはつまり、おれが、鬼になることもあるということではないのか?」
「―」
「もしも、このおれが鬼になってしまったらどうなのだ」
 博雅は、また同じことを尋ねた。
「博雅よ。もしも、おまえが鬼になってゆくとするのなら、おれはそれを止めることはできぬだろう」
「―」
「もしも、それを止めることができる者がいるとするなら、それは、おまえ自身だ」
「おれが・・・・・」
「そうだ。もしも、おまえが鬼になろうというのなら、それは誰も止めることができぬのだよ」
「―」
「おれは、鬼になってゆくおまえを救うことはできぬ」
「徳子殿も?」
「ああ」「
 晴明はうなずいた。
「しかし、博雅よ。これだけは言える」
「何だ」
「もしも、おまえが鬼になったとしても、この晴明は、おまえの味方だということだ」
「味方か」
「ああ味方だ」
 晴明は言った。
 博雅は、琵琶を抱えたまま、また沈黙した。
 ごとり、
 ごとり、
 と牛車の音が響く。
 博雅の眼から、涙がひと筋こぼれている。
「ばか・・・・・・」
 囁くような声で、博雅は言った。
「突然にそんなことを言うものではない」
「おまえが言わせたのだ、博雅」
「おれが?」
 そうだというようにうなずいてから、晴明は博雅を見やった。
「蘆屋道満殿に、今日、会うたな」
「ああ」
「道満殿が言うた通りさ」
「何のことだ」
「おれもまた、道満殿と同じということさ」
「まさか」
「いいや、そうなのだ」
「―」
「もしも、おれが道満殿と違うとするなら、それは、おれにはおまえがいるということなのだ、博雅よ・・・・・」
 晴明は言った。
「晴明よ」
 博雅は、晴明を見やった。
「おれにはわかっているよ」
「何がだ」
「おまえは、おまえ自身が考えているよりも、ずっと優しい男だということだ」
 言われて、今度は晴明が沈黙した。
「ふふん・・・・・」
 博雅の言った言葉を、肯定するでもなく否定するでもなく、晴明は小さく首を振ってうなずいた。

(文春文庫p.347〜p.350)



 最初の場面は、短編で幾度か出てきた、二人の絆の深さを示す場面を集大成したようなシーン(笑)ですが、ただ、それまでと違うのは、
まず、博雅が晴明に対する依存を口にしていること。晴明が「人」であるために博雅を必要としているのと同じように、博雅もまた自分らしく
生きるために晴明を必要としているのだ、ということが、はっきり示されるのはこの場面が最初ではないかしら。・・・それにしても、こうして
読み返すだけでも照れますね。死ぬまでやってなさい、もう。仲良きことは美しき哉。

 次の場面。徳子が生成りと化す場面を目撃して動揺が隠せない博雅を、優しく宥めようとする晴明。その言葉のふとした端に、思わぬ真
情が覗いてしまう。緊迫した場面の間にあるだけに、余計にしんみりと心に沁みる名場面だと思います。晴明の方から、「博雅が鬼になっ
ても自分は味方だ」というのは、ちょっと珍しい感じ。そういう話は同人誌ではよく見かけますけどねっ。

 私の獏版「陰陽師」との出会いは、この、「生成り姫」の新聞連載でしたが、この作品で「陰陽師」と出会えたことは、大変な幸運であった
と思います。冒頭の、安倍晴明についての説明のところは読んでなかったですが(汗)、博雅が晴明邸を訪ねるところから、ぐんぐんと引き
込まれてしまって、毎日夕刊が来るのが楽しみでしたよ。(新聞小説の醍醐味ですなあ)連載が終わってしまった時の寂しい気持ちは今
でもよく覚えてます。

 初の長編にして、シリーズ最高傑作、と言ってもよいのではないでしょうか。個人的には、今でもベスト1だなあ。

「そのお方が歳をとってゆく。顔に皺が増え、着ているものの上から見ても、肉や肌がゆるんでくる・・・・・(中略)もとは美しかったものが、
ゆっくりとそのお方から去ってゆくのだ・・・・・(中略)そういうことが、何だかおれにはとても愛しいのだよ(中略)そのお方が、老いてゆく御
自分に対して、心に抱いている哀しみすらも、おれは愛しいのだよ」
(文春文庫p.96)

 この言葉を初めて読んだ時、軽くカルチャーショックのようなものを覚えたものです。男の人なんて、女は若ければ若い方がいい、とみん
な思っているもんだって思い込んでましたからねえ。男性の作家さんがお書きになった作中の男性キャラがこのような発言をするなんて、と、
目から鱗、でした。

 物語自体、博雅の物語なので、博雅のよい漢ぶりが如何なく発揮されてますね。見るもおぞましい鬼と化してしまっても、徳子を思慕する
のをやめない。その人の本質を見つめることができるから、妖物になっても鬼になってもその人への思いを変えることがない。本当に強く、
優しく、そして哀しい人なのだな、博雅って。

 晴明は、余り気持ちの動きがはっきり表現されていないですけど、端々から、いかに博雅のことを思いやっているのかが感じとれて、逆に
切なくなりました。徳子を鎮めようと霊符を取り出したけれど、徳子を殺してしまうことになるから、使えなかった、というところとか。やっぱり、
自分で思っているより優しい人だと思うよ、晴明。道満に優しく「姫に惚れましたか」というところとかもよかった。道満も、いつになくメロウな
爺さんで、切なくてよかったですね。やはり、道満とて人の世と繋がっていたいとどこかで思っているのかな、と思わせるものがありました。

 物語としても、初期短編「鉄輪」と比べて、随分完成度が高くなっていて、読み応えがありました。徳子が生成りと化すまでに追い詰めら
れるのが、単に男に振られた、というだけではちょっと弱いと思いますが、徳子の身に降りかかる度重なる不幸と生活の困窮を具体的に書
き込まれていたりとか、やはり琵琶「飛天」に纏わる事件(かつての恋人の新しい相手にひどい侮辱を加えられ、プライドが傷つけられた)が
決定的に徳子を追い詰めたというのは、圧倒的に説得力があった。これによって、徳子が誇り高い女性であることが判るわけですし。弟さん
の逸話が加えられている(格闘マニアの獏先生が、相撲節会の場面を描きたかったためだと思われ)のも、弟を想う気持ちが描かれることに
よって、徳子の人間性が更に深まったと思います。

 そして、徳子を追い詰めた済時や綾子も決して冷酷非道な人間として描かれてはいないところも、獏版『陰陽師』の面目躍如というところで
すね。済時は、徳子の実家を没落させるような呪いをかけたのはよくなかったですが、基本的には、目先の美しい花に簡単に心を動かされて
しまう軽薄な人物であって、決して心底悪意の人ではありません。彼の死については、作中では軽く触れられているだけですが、己の軽弾み
な言動が、二人の女を恐ろしい運命に追い遣ってしまった罪の意識で、その心中はさながら地獄の炎に焼き尽くされるが如きであったのでは
ないでしょうか。それから、綾子も、決して根っから嫌な女、悪い女、というわけではなく、ただ余りに若くて、自分の驕慢な言動が、時にいか
に他人を深く傷つけるかということが判っていなかっただけなのです。その幼さの代償としては、美しい顔を無残に崩された末に、生きながら
首を捻じ切られるというのは、余りに過酷過ぎた。つまり、物語には悪役、と言える存在は見当たらない。あるのは、人と人との不幸な擦れ違
い、関った全ての人の心の強さや弱さというもの故に起こった悲劇、ということになるのではないでしょうか。博雅が12年前に徳子を得ていれ
ば起こらなかった悲劇であろうということも考えると、博雅とても、この悲劇に因縁がないとは言えない。でも、そうはならなかったのは、博雅の
博雅らしさ所以のことであったわけで。

 このような、善とか悪とかいうものは、人の心次第である、という世界観が、余すところなく描かれているという点でも、「生成り姫」は傑作で
あったのではないか、と思うわけなのです。

 ラスト、遍照寺に徳子が葬られる場面、しとしとと秋雨の降る情景が、胸に沁みるほど、切なくて美しかったです。



<出典> 謡曲「鉄輪」
        『今昔物語集』巻23−20「広沢の寛朝僧正の強力の語」
                      21「大学の衆、相撲人成村を試みたる語」
                      22「相撲人海恒世、蛇に会ひて力を試みたる語」
                      25「相撲人成村、常世と勝負せる語」


 博雅が12年ぶりに堀川の橋の袂で再会した姫は、「相撲節会で海恒世を負けるように仕向けるよう、晴明に頼んでくれまいか」と問うた。
その後、再び博雅の目の前に姿を現した姫は、実体ではない、生き霊であった。

 それから程なくして、藤原済時が、何者かの呪詛に苦しめられていると博雅を通じて晴明に訴えてくる。彼が通う姫も、呪詛で苦しんでい
るという。同じ夜、蝉丸の手を経て、博雅の手に齎された、かの姫の持していた琵琶。その琵琶には大きな疵があった。済時を呪詛する者
と疵ついた琵琶。この二つの点が一つの線で結ばれた時、胸の痛む悲劇が博雅を襲う・・・。



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