『今昔物語集』第二四

 

               玄象という琵琶が、鬼によって取られること

               今は昔のこととなったが、村上天皇の御代に、玄象という琵琶が突然無くなってしまった。これは
              皇室伝来の品であって、大変な宝物であったのが、このように失われてしまったので、天皇は大変お
              嘆きになって、「このような、高貴な伝来の品が、我が代によって失われてしまうとは」と思い、嘆
              くのも当然のことである。これは、誰かに盗まれたものであろう。しかし、人が盗んだならば隠しお
              おせる方法もないことだから、天皇に悪意を抱く者がこの世にあって、取っていって壊してしまった
              のであろうと疑われた。

               そのような時、源博雅という人が、殿上人であった。この人は管弦の道を極めた人で、この玄象が
              失われてしまったことを思い嘆いていたところ、人皆寝静まった後、博雅が清涼殿にいると、南の方
              から、かの玄象を弾く音が聞こえた。大変いぶかしくて、もしかしたら空耳だろうかとよく聞いてみ
              ると、まさしく玄象の音である。博雅は、これを聞き違えるはずもないので、返す返す驚きいぶかし
              んで、誰にも告げずに、直衣姿※1でただ一人、沓を履いて、小舎人童を一人伴って、衛門の陣を出
              て南に向かって行くと、なお南の方からこの音は聞こえる。これはもう近いぞ、と思って行くと、朱
              雀門に至った。なお同じように南から聞こえる。そこで、朱雀大路を南に向かって行った。(博雅は)
              心の中で「これは、玄象を人が盗んで楼観でこっそり弾いているに違いない」と思って、急いで行っ
                           て、楼観にたどり着いて聞くと、なお南の方からとても近くに聞こえた。そこで、なお南に行くと、
                           いつしか羅城門※2に至った。

               門の下に立って聞いていると、門の上の二階で玄象を弾いていた。博雅はこれを聞いて不思議に思
              って、「これは人が弾いているのではないな。きっと鬼か何かが弾いているに違いない」と思ってい
              ると、弾きやんだ。しばらくしてから、また弾き出した。その時、博雅が言ったのには、「これは誰
              が弾いているのですか。玄象はこの間から無くなってしまっていて、天皇が求め尋ねていらっしゃっ
              たところ、今夜、清涼殿で南の方からこの音色が聞こえたのです。そこで尋ねてきたのです」その
              時、弾きやんで、天井から降りてくる物があった。恐ろしくてあとずさって見ると、玄象を縄につけ
              て下ろすのであった。そこで博雅は恐る恐るこれを取って、内裏に帰ってこのことを申し上げて、玄
              象を奉ったところ、天皇は大いに感じ入られて、「鬼が取っていたのだな」と仰せられた。これを聞
              いた人は、皆博雅のことを讃めた

               その玄象は、今は大変な宝物として、代々の伝来の品として内裏にある。この玄象は、生きている
              物のようである。下手に弾いて弾きこなせないと、腹を立てて鳴らないのである。また、塵がついて
              払ってやらない時も、腹を立てて鳴らない。その気分があらわに見えるのである。ある時には、内裏
              が焼亡した時も、人が取り出さないのに、玄象は自ら出て庭にあった。これは不思議なことだと、語
              り伝えられたそうだ。
              


               言うまでもなく、記念すべき『陰陽師』シリーズ第1話「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるるこ
              と」の原話です。『陰陽師』では、鬼は素直に琵琶を返してくれないので、晴明の出馬となるわけ
              です。最後の件り、玄象が生きているもののようである、という部分をもとに、この時盗んだ鬼が
                           玄象にとり憑いた、という展開にしたのは、まさに秀逸。
              

              ※1 岩波文庫の注釈では、本来直衣では内裏に参内できないのでこの部分は作者の誤り、となっ
              ていましたが、浜島書店の国語便覧には「勅許により参内時の着用を許された」とあります。博雅
              が許されていた可能性は十分にあるでしょう。

               直衣姿でふらっと気軽に内裏を出る、というのは、何か博雅らしくていい感じ。

              ※2 博雅は結局清涼殿から羅城門まで一気に歩いたことになりますが、現在の京都で言うと、内
              裏は二条城の西北、晴明神社の西側に当たり、一方、羅城門は、JR京都駅の南東になり、距離に
              すると約6kmほど。昔の人って健脚・・・。ただ、『今昔物語』以外のテキストでは、玄象を盗ん
              だ鬼は、朱雀門の鬼になっています。(博雅は登場しない)

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