『陰陽師 飛天ノ巻』



「気を落とすな、博雅―」
「なんだか、おれは、みんなに馬鹿にされたような気がするよ」
「そんなことはない。みんな、おまえのことが好きなのだ。兼家殿も、超子殿もな。そして、おれもだ。だから、おま
えに気をつかったのだよ。あの件の女房殿も、おまえが好きだったのだ。好きだったから、おまえに甘えて、おまえを
利用しようとしただけだ」
「晴明よ、おまえは、おれをなぐさめてくれているのだろうが、おれは嬉しくない」
「嬉しがることはないが、哀しくなることはない。おまえは、皆にとって、必要な人間なのだ。おれにとってもなー」
「うむ」
「おまえは、ほんとうによい漢だからな」
 晴明は言った。
「やはり、嬉しくない」
 博雅は複雑な表情でつぶやいた。
 晴明は困ったようにあたまを掻いた。

― 「露と答へて」(文春文庫p.151〜p.152)



 単行本2冊目で、早くも馬鹿ップル全開な二人。さりげなーく告白しちゃってるんでしょうか、晴明サマ。博雅に
思いっきり聞き流されちゃってますけど。

 前作から一転、ほとんどエロも流血もない、ほのぼの、しみじみとした、素朴で説話的なお話が中心、「露と答へ
て」のように、怪異現象が全く出てこないエピソードまであって、話の突飛さよりも、人物描写や物語の雰囲気で読
ませるようになっています。

 そして、「源博雅は武士である。」という表現が消え、「源博雅堀川橋にて妖しの女と出逢うこと」で博雅の身元
を明らかにしたのは、これまでのように博雅を武士としてではなく貴族として描く、という意志表示でしょうね。文
庫版の装丁も村上豊氏になり、『陰陽師』シリーズの本格的な出発点と見てよいのでしょう。



天邪鬼 
 上賀茂の山中に現れる奇怪な童子は、東寺の広目天像の足元から邪鬼が消えたことと関りがあるのか。

下衆法師
<出典> 『今昔物語集』巻20−9「天狗を祭りし法師、男に此の術を習わしめんとしたる語」
                    23「比叡の山の横川の僧、小さき蛇の身を受けたる語」
 怪しい外術を習得したいと思ったばかりに恐ろしい目にあった男の物語。

陀羅尼仙
<出典> 『今昔物語集』巻13−3「陽勝、苦行を修して仙人と成れる語」
                    14−42「尊勝陀羅尼の験力に依りて、鬼の難を遁れたる語」
 叡山の僧明智のもとを訪れた仙人めいた僧は、何故飛び去ることができなくなったのか。

露と答へて
<出典> 『伊勢物語』6段
       『大鏡』「帥輔伝」
 藤原兼家が女のもとに通う途中百鬼夜行に遭遇したという。事件は思わぬ顛末へ。

鬼小町
<出典> 謡曲「卒塔婆小町」
        謡曲「通小町」
 市原野に住む老女の正体。老いさばらえた果てに死んだ小野小町と、彼女に焦がれ死にした深草少将の妄執と
哀しみ。


 シリーズ中屈指の名作と言ってもよいでしょう。桜が乱舞する中で舞い踊る狂気の小町の姿は、能の舞台を具現
化するかのようで、凄惨なまでの美しさ。それを為す術もなく見守る晴明と博雅。(「青い火を噛むような」という表現
が凄い)人が人であるが故の弱さと醜さ、それゆえに人は愛おしいのだ、という、獏版『陰陽師』のテーマが集約され
ているような一編だと思います。

 晴明に説明してもらえなくて、拗ねる博雅がカワイイ・・・。

桃薗の柱の穴より児の手の人を招くこと
<出典> 『今昔物語集』巻27−3「桃園の柱の穴より指し出づる児の手、人を招きたる語」
 源高明の桃園の屋敷で次々と起こる怪異の真相とは。

源博雅堀川橋にて妖しの女と出逢うこと
 橋の上に現れる白い女の正体を探るべく、博雅は夜半一人堀川へと向かった。



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