忠犬 白手(しろて) 

深更

何を追いかけているのか、けたたましい野犬の吠声が小路から小路へと夜の都に響き渡る。

やがて、野犬どもは、破れ家の狭い隙間に向かって恨みがましく歯を剥き出して唸っていたが、さすがにしばらくすると諦めて、一匹一匹と離れていった。

よほど怖かったのか、最後の一匹が去ってからも逃げ込んだものはなかなか出てこなかった。

いくら耳を澄ましても聞こえるのは風の音ばかりになった頃、ようやく、身を捩りながら姿を現した。

それは、栗色のつやつやとした毛並みの小犬だった。両前足の先だけが塗り残したように、白い。

小犬は月を見上げて溜息を一つ吐く。

(やれやれ、困った。ここがどこかわからぬぞ)

どうやら、野犬に追われて夢中で逃げているうちに、随分と遠くに来てしまったらしい。

(まあ、よい。北に向かってゆけば、内裏に当たるであろうし、そこからなら晴明の屋敷までは、わかる)

そう、言葉にもならぬ声で呟くと、小犬は方角を確かめるようにもう一度月を見上げた。

そもそもの始まりは保憲だった。

主不在の晴明邸で、どういうわけか博雅は保憲と酒を呑んでいた。晴明がいないため、式もおらず、二人きり。

何の話の時だったか、博雅はつい

「そうやって、晴明はいつも私をからかうのです」と、口にしたところ保憲が、

「偶には博雅様も晴明を苛めてやればよろしいのです」と言うのである。

「実は…やってみたことはあるのです。でも、いつも、結局晴明にやりこめられてしまって…」

博雅は悔しそうに口を尖らせた。

(それはそうだろう。博雅の考えることなど、晴明にとっては顔に書いてあるようなものだ)

しかし、その拗ねたような顔が保憲の悪戯心を刺激する。

「よろしければ、私が手をお貸し致しましょう」

「保憲殿が?」

「はい、たまには晴明を慌てさせてやりましょう」

保憲が手を貸してくれるのなら晴明に一矢報いることができるのでは、と思うと、この機会を逃すのは何とも惜しいような気がして、…博雅は話に乗ってしまった。深く考えもせずに。



そして、その案というのが、何故か博雅が犬となり、晴明を慌てさせるというものだったのである。

「犬になられた博雅様に晴明はすぐ気が付きましょうが、その時の晴明の顔が見物でございますよ。なに、博雅様にかけた呪は晴明ならば解けるものですから、ご心配なく」

と言って、私がいたことがわかると面白くありませんから、と杯などを片付け、さっさと帰ってしまったのである。

そうして、晴明邸には一匹の小犬が残されたのだった。



しばらくは大人しくしていたヒロマサ(人間姿の博雅と区別するため、犬姿の時はカタカナ表記)だったが、晴明はなかなか帰ってこない。

この姿では笛も吹けず、とうとう飽きて戻り橋まで行ってみようと門外に出た途端、うろついていた野犬に見つけられ、追い回される破目になったのだった。



では、と北に向かって歩き始めようとしたヒロマサの耳に、しくしくと子どもの泣き声が聞こえてきた。

子どもが外にいるような時刻ではない。

はて?と首を捻ったヒロマサだったが、捨てておける性分ではない。

すぐにその声に向かって歩き出していた。

すると、膝を抱えて道端にしゃがみ込み、まだ涙の残る顔を突っ伏していたのは、小ざっぱりとした水干を着たまだ十に満たない童であった。



くぅん。

声に気付いて顔を上げると、小犬がちょこりと座って首を傾げて自分を覗き込み、栗色の尻尾をはたはたと振っている。

「なんだ、おまえ。どこの犬だ?どうしたのだ?」

(それはおれが訊きたいことだ。童がこんな夜更けにどうしたのだ?)

犬はますます顔を覗き込んでくる。

「泣いているのがおかしいか。母様に叱られたのだよ」

そして、犬にでも泣き顔を見られるのは恥ずかしいのか、袖でごしごしと顔を擦った。

しばらく、黙って心配そうに自分を見る小犬をみていたが、やがてぽつり、ぽつりと話はじめた。

「母様がな、わたしが弟の雪丸をぶったというのだよ。わたしはそんなことしてないのに。してないって言ったのに。…おそろしい顔をして…このごろ、母様は変なのだ。前はあんなに優しかったのに」

童は溜息をついた。

「ほんとうの母様ではないけれどな。ほんとうの母様は、わたしを産んですぐに亡くなったのだそうだ。でも、今の母様も優しかったのだよ。雪丸が生まれるまでは…」

そこまで言うと、童は黙ってしまった。

そこへ、

「梅丸様、梅丸様」松明を持った人影が近づいてきた。

「お捜ししましたぞ。お母様も少し叱りすぎたとおっしゃって心配しておいでです。お邸に戻りましょう」

この童の家の家人なのだろう。優しく促すように言うと、童はしぶしぶと立ち上がり、家人と一緒に歩き出した。

けれども、先程の童の言葉にひっかかるものを感じたヒロマサは、放っておけない気持ちになって、思わず後を追っていた。

すると、足音に気付いた童が振り返って、声を掛けてきた。

「おまえも来るか?白手」

(しろて?)

「ほら、前足の先だけ白いだろう。だから、白手」

(ああ、成程。)

「お邸に連れて行くのですか?」

「いいではないか、わたしの話を聞いてくれたのだよ。

こい、白手。おまえはこれからわたしの友ぞ」

そう言って、ヒロマサの頭を撫でたのだった。



童の邸には程なく着いた。

貴族や顕官の邸ではない。けれど、相当の蓄財はあるようで、広さもあり庭も邸もよく手入れがされていた。

着くとすぐ、梅丸の継母とおぼしき女性が廂伝いにやってくるのが見えた。

梅丸の側まで来ると、がばとその小さな体を抱きしめ、

「梅丸や、どこにいたのじゃ。ああ、無事でよかった。心配で床にもつけなかった」と言って涙まで滲ませている。母に抱きしめられた梅丸は安心したのだろう、「明日な、白手」と言って母に手を引かれて邸の中へ入って行った。

ヒロマサは庭の片隅に残された。

家内の様子をそれとなくうかがってみる。

童が継母にいじめられているのではと気になってついて来たヒロマサだったが、先程の様子を見る限り深刻なものではなさそうである。

杞憂であったかと思い、ではどこか出口を探して晴明の邸に帰るか、と庭をきょろきょろしていたヒロマサの犬の耳に、常の人では聞こえない程の人声が聞こえてきた。不眠の女房の溜息や睦言の声ではない。辺りを憚る意志のある声である。

ヒロマサはそっと声のする方に向かっていき、縁の下に入り込んだ。

まず聞こえたのは少し高い、女と思われる声。

「私が、これまでおまえに特別に目を掛けてやったことは、十分承知だね」

(これは…先程聞いた母君の)

ヒロマサの耳は人間姿のときでも微妙の音を聞き分ける。ましてや、今は犬姿。

「はい、これまでのご恩に報いることができますのならば、いかなる事でもお申しつけください」

今度は低い掠れたような男の声。「おお、そう言うてくれると思うていたわ。実はの、近頃気に掛かって仕方のないことがあるのじゃよ」

「梅丸様のことでございますね」

「雪丸を産んでからは、可愛いと思うこともなくなっていたが、ことに今夜のように、われに盾突くことがあると、憎らしさばかりで、いままで可愛い子よと育ててきたのが嘘のようじゃ。いずれはこの家のもの全てあやつのものになってしまうかと思うと、悔しい限りぞ」

「皆までおっしゃいますな。お心の内はこの忠成、承知しております。万事私にお任せ下さりませ」

「頼りにしておりますよ。さすがは忠成じゃ…では、ことは早いほうがよい。幸い今は殿がお留守じゃ。首尾よく成った暁には…」

ヒロマサは縁の下で蹲ったまま、じっと二人の話を聞いている。

梅丸の帰宅の折に見せたあの母君の涙を思い返しながら、心が沈んでいくのをどうしょうもなかった。

そして、もはや晴明の邸に帰ることは、ヒロマサの頭の中にはなくなっていた。

明朝、ヒロマサはすぐに梅丸の姿を探し求めた。

「白手!白手!」

梅丸が元気な声でヒロマサを呼ぶ。

ほっとしたヒロマサだったが、昨夜の話は夢ではない。梅丸に害意を持つ者がこの邸に、しかも一番近くにいるのは明らかだった。

(といっても、この姿ではどうにもならぬ。)

とにかく傍を離れまいと駆け寄って、梅丸にぴたりと寄り添った。

「おやおや、随分と懐いておりますな」

(この声は、昨夜の…)

振り返れば、男が一人立っている。

「では、そろそろ参りましょう、梅丸様」

「うん、そうだな忠成」

(忠成!間違いない…この男だ!)

「また帰ったら遊ぼうな、白手」

そう言って、梅丸はその忠成という男と出かけようとしている。



わおぉん。  くぅぅん。

(待て、梅丸!俺を連れて行け!恐ろしいことが起こりそうな気がするのだ。連れて行ってくれ!)

ヒロマサは咄嗟に梅丸の袖を噛んで引き、その顔を見上げて訴えた。

「おまえも行きたいのか?いっしょに行くか?従兄弟の邸に遊びにゆくんだよ」

忠成は露骨に嫌な顔をする。

「そのような犬を連れて行ったとて邪魔なばかりです。置いて行きましょう」

忠成は渋ったが、結局は折れて連れていくことになった。

そして、二人と一匹はでかけたのだった。



その頃内裏では、保憲がめずらしく出仕していた晴明とばったり遭っていた。

昨夜の悪戯のことで嫌味のひとつも言われるかと身構えていると、

「お久しぶりでございます。保憲様」

全く普段通りの食えない顔で挨拶をしてくる。

「お、おう。久しいな、晴明」

さては無視を決め込んだかと、こちらも常の挨拶を返して通り過ぎようとした。

しかし…

あまりにも平然としたその様子に聊か不安を覚えて、もう一度声を掛けた。

「昨夜、博雅様にはお会いしなかったのか」

「博雅様?いいえ、逢ってはおりません」

それを聞いた保憲の顔から血の気が引いた。

保憲のあまりの動揺に、晴明の眉が思わず顰められる。

「どうしたのですか、博雅の身に何か…」

保憲はもう聞いていなかった。晴明を引っ張っていき、有無を言わせず自分の牛車に押し込んだ。

「落ち着いて聞いてくれ、晴明」

そして保憲は昨夜の悪戯を話して聞かせたのである。



「ほんの悪戯のつもりだったのだ。博雅様におまえの困った顔を見せてやりたくて、…な。それにおまえ、あの時すぐに帰ると言って行ったではないか」

話し終えた保憲はちら、と晴明を見た。

いや、見ない方がよかったかもしれない。

ずい、と晴明が身を乗り出して、その冷たい顔が保憲の視界いっぱいに迫ってきた。

そして無言でいきなり保憲の束帯の首元を掴むと、圧し掛かるように顔をさらに近づけ、

「保憲様」

地底から響いてくるような声である。

「では、博雅は犬の姿のまま行方不明ということですか」

保憲は頷かざるを得ない。

「保憲様」

人の屍骸が道端に打ち捨てられていても、素知らぬ顔で通り過ぎる時代である。

犬一匹。

殺されて、道端に捨てられても誰も気にも留めない。

「博雅を捜してください」

始めは脅すような声が

「無事に帰してください」

哀願するような声に

「あなたは…一体、…何ということを、したのですか…!」

そして最後はまるで、喘ぐように。

保憲の衣を掴んでいる手が、微かに震えていた。



ヒロマサが何らかの理由で邸を出たにせよ、何故戻ってこないのか。

何かがヒロマサの身に起こったと考えるしかなかった。

晴明と保憲は急ぎ動き難い束帯から狩衣に着替えると、晴明の邸を起点として、ヒロマサの気配を追って行った。

しかし、犬という呪のかかった博雅の気配は、生絹を被せたように朧で、しかもかなり時間が経過してしまっている。おまけにあっちを曲がり、こっちを横切りと追い難いことこの上ない。

それでも、晴明は全ての感覚を集中して気配の痕跡を辿っていく。引き結んだ口からは一言も言葉を発することはなかった。

もう日が傾こうかという頃、二人はやっとあの梅丸の邸に辿りついた。西の市の近くで、外れというほどではないが、人通りもまばらである。

「どうやら、この邸の中に入って、また出てきたようです」

明らかに時間の経過した二筋の気配が邸から伸びているのである。

しかも、出てきてからの痕跡は晴明の邸とは全く違う方向に向かっている。

やはり、何かあったのだ。

でなければ、晴明の邸に帰ろうとするはずである。

晴明が保憲を見遣ると、考えることは同じとみえて、厳しい顔で頷いた。



さて、二人と一匹は梅丸の従兄弟の邸で遊んだ後、帰途についていた。

けれども、忠成は往きとは異なる道を歩いていく。

都とはいえ西の京も外れでは廃屋となった邸や粗末な小屋が点在しているくらいで、

荒野や畑が広がっており、日の暮れかけたこの時刻では人気もない。

(変ではないか、往きとは違う道だ。それに、どうしてどんどん寂しい方へ歩いてゆくのだ)

ヒロマサは不審に思ったが、悲しいかな梅丸に伝える術がない。

そう思っているうちにも、忠成は梅丸の手を引いて半ば朽ちた邸の庭にずんずん入っていく。

忠成を見上げる梅丸の顔がさすがに不安そうになってきた。

けれど、忠成は歩みを止めない。梅丸の手を引く力はいっそう強い。

そして、朽ちた壁と丈高い草に遮られ、往来からは全く見えないところまで歩いてくると、

忠成は急に立ち止まった。

そして、するり、と梅丸の背後に回る。

(え?)

あっ、と思う間もなかった。

忠成は懐から素早く麻紐を取り出すと梅丸の細い首に回すや、声も上げさせずぎりぎりと締め上げた。



その時、

うわん!わわん!(なにをする!やめろ!)

ヒロマサが忠成目掛けて飛びかかった。

うわう!があっ!(やめろ!やめろったらやめろ!)

麻紐を締め上げている手に力の限り食らいつく。

「ええい!邪魔しおって!」

忠成は紐を放して今度はヒロマサに向かってくる。

逃げようと思えば逃げられないことはない。けれど、この童をおいて逃げることなどヒロマサは考えもしなかった。

倒れた梅丸を庇うように踏ん張って、忠成に飛びかかった。男の足に牙をたて、放さないでいると、拳がめちゃめちゃに打ってきた。

意識が朦朧としてくる。

思わず食らいついていた力が弱まったところで、首を掴まれた。

男の足から引き剥がされて踏みつけられ、最後に思いきり蹴り飛ばされた。

きゃおうん…

そこで、ヒロマサの意識は途切れた。



「けっ、手間かけさせやがって」

忠成は廃屋の板を一枚引っぺがすと適当な穴を掘り、梅丸と犬を放り込んだ。

土をかけ、草や葉で覆うと、ひとつ息を吐き、何食わぬ顔で元の道へと戻って行った。



半時も過ぎた頃。日は落ちて西の空にわずかに群青色を残すのみである。

晴明と保憲は猟犬の如くヒロマサの跡を辿ってあの廃屋に辿りついていた。

しかし、草深い庭を回ったところで気配がぱったりと消えてしまっている。

目を上げると、その気配の消えた先にうっすらと土が盛り上がっているのが見えた。

薄暮の中、晴明はそれを網膜に映しながら、自分が青褪めていくのがわかった。



飛びつくように盛り土に手を伸ばした。土は、まるで今盛られたかのように手の中で崩れていく。

晴明は、白い狩衣が汚れるのも構わず、白い手が泥まみれになるのも構わず、ただひたすら土を除けていく。

保憲も手伝おうとしたのだが、晴明の勢いに押されて、自然手を引く形になってしまった。

やがて、ばさばさとひたすらに土を除けていた晴明の動きが、はた、と止まった。

それから息を詰めて、今度は、丁寧に、…けれどいっそう性急に土を掃う。動物の土まみれの毛皮を確かめると力を込めて、抱きかかえるように救い出した。



ぐったりと冷えきった栗色の小犬だった。

けれど、晴明には博雅にしか見えない。

「博雅!博雅!」

手を当てて、弱々しくはあるが心の臓の鼓動を確かめると、抱きしめて、暖めて、持参した水を口移しで飲ませようとする。

それを見ていた保憲が呆れたように言った。

「晴明…気持ちはわかるが、ひとがたに戻してさし上げてからの方がよくはないか」

(誰の所為だと思ってるんだ!)

瞬間、凄まじい視線が晴明から返されたが、保憲は平然と傍らにやってくると、

「俺がかけた呪だからな。俺の方が早いだろう」

そう言って小犬に手をかざし、低く唱えると、晴明の腕の中の小犬がふわり、と博雅に変わる。

見れば、小犬の時はわからなかったが、顔色は蒼白で顔にも体のあちこちにも擦り傷やらあざやらがついている。

晴明はそんな博雅を痛ましげに見下ろして、溜息をついた。

(もう、こんな無茶はしてくれるなよ)



とにかく手当を、と立ち上がりかけた時、穴をのぞき込んでいた保憲が声を上げた。

「晴明、どうやら中にもう一人おられるようだぞ。…おお、童だな」

急いで引き上げて確かめると、幸いにも心の臓は動いている。

「この童を助けようとしたのかな」

「おそらく。…こんな犬の姿ではどうにもならぬというのに」

「まあ、博雅様らしいといえば博雅様らしい。どんな姿でも博雅様、というわけだ」

無責任な保憲の言葉に晴明の目がすうと細められたが、声は変わらず、

「保憲様、近くに車を待たせてあります。そこまでこの童を運んで下さい」

「車?牛車を用意してきたのか?」

「はい、必要なこともあるかと」

「相変わらず用意がいいことだ」

晴明が博雅を担ぎ、保憲が童を抱きかかえて牛車に乗せた。

そうして、では、と保憲が牛車に乗り込もうとすると、

「保憲様、…ちょっと…」

と晴明が少し離れたところに立って手招きしている。

口元には、あのいつものあるかなしかの笑み。

何気なく近づいて、

「なんだ」



その瞬間、晴明の笑みが深くなったように見えた。

いや、保憲の視界が歪んだのだ。

晴明の強烈な右フックが保憲の左頬に炸裂したのである。

  ガスッ

晴明の右拳の骨と保憲の左頬骨が擦れる音がした。

続いて、捻れた顎にむかって晴明の左アッパーが突き刺さる。

  ぶはっ

晴明の渾身の二発をくらって、保憲はどうと仰向けに倒れてしまった。

「保憲様。これは博雅への悪戯のほんの御礼でございます。此度はこの程度で許してさしあげますが、もし、本当に万一のことがあれば、容赦はいたしません」

そう言い放つと、さっさとひとり牛車に乗り込み、倒れた保憲を一人残して去っていってしまった。



牛車の音が聞こえなくなって、保憲はようよう身を起こした。

鼻と口にこびりついた血をぬぐう。

「晴明め、思いっきりぶん殴りおって。少しは兄弟子に対する遠慮というものがあろうが」

そこまで言って、思い返したように、

「まあ、仕方あるまい。あの博雅様をあれだけの目に遭わせたのだ。二発で済んだのは軽い方か。晴明の狼狽というめったにないものを見せてもらったことだしな。…」

それから、ひとり抑えきれないようにくすりと笑うと、

「博雅様、気を失っていて真に残念でしたなあ。予想以上の慌てぶりでございましたよ」

あれを博雅様に見せてやりたかった、そう言って、破顔した。

途端、顔に痛みが走り、腫れ上がった頬を手で押さえたことだった。



後日、晴明と保憲の計らいで事の次第が梅丸の父に知らされ、奥方と家人の一人が放逐された。そして、晴明の手当により回復した梅丸は父の元に戻ることができたのだった。



晴明から無事にことが解決したことを聞き、安堵した博雅だったが、

梅丸が自分を庇ってくれたらしい白手を心配して捜している、ということを聞き、

「なあ晴明、もう一度白手にしてくれぬか。梅丸に白手は無事だと見せてやりたいのだよ」と晴明に頼んだ。

「ならぬ!」

もちろん却下されたのは言うまでもない。



                                 了


この小品の作者、助太郎でございます。

私の陰陽師2作目となります。

もともとは保憲を殴る晴明を書きたかったというだけなんですが、そうすると博雅に酷い目に遭ってもらわねば、ということでこういう話になりました。

ネタは今昔物語ですので、ご存知の方も多いと思います。ほとんどそのまんま使ってますから。

贈り物にしては長過ぎる話を快く受け取って下さった神本様に感謝です。

この話の文責は全て助太郎にあります。私はサイトを持っておりませんので、どんな些細な感想でも下記のアドレスまでお寄せくだされば幸いです。

Sukesan1961@topaz.plala.or.jp

助太郎さま、とても可愛らしいお話、ありがとうございますvv

わんこのひろまさが、可愛くて健気で、うるうるしてしまいました。

梅丸ちゃんも可愛いですね。幸せになれるとよいですね。

でも、何より「博雅のピンチにうろたえまくる晴明さま」が、ステキ・・・(翠霞)



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