蘆屋道満



伝説
生没年不詳。平安時代中期の在野の陰陽家。実在の人物かどうかは不明。
 文献に登場するのは、『古事談』や『宇治拾遺物語』の藤原道長を呪詛して晴明に阻まれるという話が最初でしょうか。ただ、ここでは「播磨の
道摩法師」としてしか登場しないようです。稀代の陰陽師安倍晴明の宿命のライバル「蘆屋道満」が成立するのは、どうやら近世になってから、
浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』と同名の歌舞伎辺りからのような印象がありますが。
『陰陽師』

 何しろ晴明の宿命のライバルとして創出された人物なので、浄瑠璃や歌舞伎を元祖として、大抵の晴明物では、バリバリの敵役、悪役ですが、
『陰陽師』では、当初は晴明の敵として登場したものの、その後は敵とも味方ともつかぬ存在になっていきます。或いは晴明と同じ心を持つ人物
として描かれるのは、獏版のオリジナル。「生成り姫」における晴明の、博雅の存在がなかったら、自分は道満と同じだ、という述懐は、『陰陽師』
という物語の世界観の根幹にも関るもので、示唆的ですね。本来ならば対立すべき善と悪である二人が、実は同一に近い存在である、「水とは
善か悪か」という作中に登場した問答に共通する、善と悪を相対化する思想が背景にあるのではないかと思います。

 あと、晴明の敵役としての道満は、晴明と同年代の男性として描かれることが多いようですが(晴明の妻を寝取ったりするし)、老人として描いて
いるのは『宇治拾遺』には老僧として登場することに準拠したものでしょうか。なら、途中から僧形でなくなるのは何故なんだろう。



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